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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1945初心者:2011/11/07(月) 02:21:07 ID:hogyfr1M
ぼるぼ様

ところでわたくしは、18年前に悟りをひらいてしまったのであります。
何もかもわかってしまった。そのような感覚に突如としてとらわれて、以来18年間、
ずっと「わかった」と感じつづけております。

わかったことは言葉にしなければなりません。まるでスナフキンのように、言葉を
さがす旅に出ました。物理学、哲学、心理学、オカルト、ポストモダン、ニューエイジ、
さまざまな分野の渉猟がはじまりました。

しかし、断片的に言葉にできても、全体を語る言葉は、いまだ見つけることができて
おりません。これは、迷いでありますね。雅春先生の言葉を借りて語れるみなさまは
よいですね。自分の言葉で語る必要がないのでありますから、語るべき言葉をさがす
必要もないということであります。

わたくしは、みなさま方からすれば、たんなる迷い人でしかないのでありましょう。
自分の言葉で語るには、人は迷うしかないのであります。

ところでぼるぼ様は、かねてより、「信が第一である」といっておられますね。
わたくしは困っております。すでにわかってしまったからには、もはや信じることが
できないのであります。わかってしまったことを、いまさら信じろといわれても、
これは無理な相談なのであります。

信が第一であれば、「わかる」というのは邪道でありますね。わかってしまっては
ならないのでありますね。信じなければならない。わかってはならない。信が第一と
は、こういうことなのでありますね。

もちろん「ソシュールの関門」を通過したわけではありません。オカルトに傾倒する
ことで、「ソシュールの関門」を回避したのであります。「ソシュールの関門」を回避
できるのは、オカルトだけであろうと、今でも考えておるところであります。

さて、とにかく何もかもわかってしまったのでありますが、ぼるぼ様は、信が第一
と主張しておられます。わかってしまったものは、もはや信じることができません。
しかも、わかってしまった以上、これは信仰とはなり得ないのであります。このまま
では、いつまでも「迷い人」の烙印を押されつづけるばかりであります。

どうしたらよいものなのでありましょう。本当の信仰を得るには、いったん白紙に
もどして、そこから信じなおすよりほかはないということなのでありましょうか。
ご教示いただきますようお願いいたします。


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