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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1862しん:2011/10/23(日) 20:40:17 ID:/fXPqxA6
      神聖受胎のこと

生長の家の『肉体なし』の教えは『肉体を殺す』のではございませぬ。『肉体を殺し』『肉体を苦しめ』苦行するのは、肉体の存在を認めているからでございます。肉体の存在を認めている限り、人間は神聖なものではございませぬ。肉欲によって生まれ食欲によって他の生物と喰(は)み合い、老い、病み、死に行くものでございます。人間を肉体として見ないで、聖霊の神聖受胎として観るのが、本当の『悔改(くいあらため)』でございます。『観(かん)の転回』でございます。観が転回してしまって、自己が『肉』としての存在でなく、『神聖受胎』であると云ふ尊厳なる事実を悟ったときにのみ、本当の『父母の孝』が出来るのでございます。自分が肉欲によって生を受けた存在であると思っている限り、父母はただの『肉』の繋がりに過ぎませぬ。自分が神の生命の神聖受胎であると知ったときに、父母が吾らの神聖受胎に機会を与えて下さったところの幾ら感謝しても感謝し切れない大恩(たいおん)ある方だと判るのでございます。道元禅師の『この衆(しゆ)の恩は父母にもすぐるべし。父母はしばらく生死(しょうじ)のなかの親なり。この衆はながく佛道のともにてあるべし』の言葉は父母の有り難さを本当に自覚しない言葉だと思われます。衆と父母とを対立させているのが間違いです。世界は道場にして、衆の中に父母もあり、而も衆の中で吾々を神聖受胎したまひて、永遠に観世音菩薩の顕(あらは)れとして吾々を導き給うところの衆の中の最大なる者が父母でございます。
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