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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1857
:
初心者
:2011/10/19(水) 11:51:27 ID:4IaAZAME
たしかに、この板、近頃はなにかと静かでありますな。なにやら見放された気配が漂っておりますが、このままつづけることにいたします。
じつはこれまで疑問におもうことがありました。音響装置のスピーカーですね。あれは非常に単純な構造であるわけなのですが、オーケストラの何十という楽器の音色を再生してしまうのでありますよね。あの単純な装置に、なぜこのような複雑な作業ができてしまうのかと、ずっと不思議におもっていたのであります。
ここでひとつの仮定におもいいたったのであります。スピーカーというのは、オーケストラの何十という楽器の音色を、ひとつひとつ分けて再生するのではなく、すべてをごちゃまぜにすることで、きわめて複雑な波形で再生しているのではないかと、このようなことを想像したのであります。
そうなのですよ。スピーカーからは、楽器の音がごちゃまぜになって、ひとつの波形として出てくるのでありますよ。それを人間の耳が聞き、その複雑な波形から、ひとつひとつの楽器の音を聞き分け、分離して取り出しているのでありますよ。きっとそうなのだと、おもいますよ。
複雑な波形から、それを構成するひとつひとつの波形をより分ける。これがフーリエ変換でありますよね。とすれば、人間の耳はフーリエ変換をおこなっているということになるのでありますよ。いうまでもなくそれは、脳がやっているということになるのでありますね。やはり脳はフーリエ変換の達人である。そんな気がしてまいりました。
音響学の専門家ではありませんから、たしかなことはいえませんが、こんなようなことを想像してしまいました。
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