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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1840義春:2011/10/15(土) 19:11:17 ID:iu5Ar./Q
 自然状態での祭祀、縄文的な自然との一体について、
私の私観を述べさせて頂きます。
縄文時代のような時代と云うのは、今の文明社会ではないので、
常に生死の境に人は生きていたと思います。現代では、脳は数パーセントしか、
使われておりませんが、必要もなく、大容量の脳を持つ必要はないというところから、
古代においてはもっと多く使われていたと私は確信いたします。
何故なら、そうでなければ、生きていけませんから。
言うなれば、自と他が共同であるという意識で生きていくしかないので、
思いつく限りでは、予め危険を察知したり、食料のありかなどを感じていたと思うのです。
ですので、イワクラでの祭祀は、そのイワクラ自体と共同意識、つまり、
イワクラ自体と一体化することで、自然と一体化し、そして生かされている事に、
感謝するものであったのではないか?というものです。
それをするのが、甘南備山(=ピラミッド)で夏至と冬至にイワクラの上で
祈りを捧げ、そして世界の新生をも祈ったのではないかと私は感じるのです。


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