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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1834
:
初心者
:2011/10/15(土) 12:48:23 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。
わたくしの問いかけにたいするご返事をいただき、ありがとうございます。
自然状態につきましては、漠然とした用語の説明をいたしましたが、それがどのようなものであったかは、判然としないということを、最初に申し上げた次第であります。そしておそらく、そのあたりの疑問を解くカギが、古事記や神道にかくされているのではないかとの当たりをつけ、しかしその分野はわたくしの得意とするところではありませんので、わたくしより多くの知識を持っておられるみなさま方に、対話をとおして、自然状態の実像にせまっていただきたいと考えた次第でもあります。そこのあたりをご理解いただきますようお願いいたします。
そして、まことに勝手ながら、復興G様にも、ぜひそのたありの真相にせまっていただければと願っております。
それと、ソシュールの言語学が想念、波動を射程にいれていたのかとの問いでありますが、これまで何度も申しておりますように、文化的状態を考察するにあたって、はじめから超越項を持ち込むことには、わたくし自身は消極的であります。それはつまり、超越項を持ち込めば、いくらでも逃げ道をつくることができるということでもあります。はじめから逃げ道をつくっておいて、それから考察をするとすれば、考察することの意味がない、とこのように考える次第であります。
ソシュールの言語学もまた、それが「学」である以上、超越項の持ち込みはおこなわれておりません。超越項を持ち込みたいとする誘惑にいかにして打ち勝つか。これが、文化的状態を考えるにあたって、第一に心すべきことであると考えます。
それと、ひと言つけくわえれば、ソシュールの言語学であつかう「言葉」には、シニフィアンという用語があてはめられておりますが、シニフィアンとは、厳密にいえば、それは「言葉」ではなく、心的な現実にはたらきかける「ある種の作用」と解すべきかと存じます。この作用によって、リアルな世界が形づくられます。
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