したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1812復興G:2011/10/14(金) 18:21:21 ID:yhDBe2kY

さて、アゲハ蝶(の理念)が実相であるとします。

では、卵やイモムシのときには「アゲハ蝶」はないのかと言えば、すでに卵やイモムシの時にもアゲハ蝶は「ある」のであります。それは眼には見えないけれども、卵の細胞のDNAにもその設計図が記録されてあり、やがて時が来ればその「すでにあるもの」が眼に見える形に展開して現れてくるのであります。

すべて現象界に現れて見えるものは「結果」であって、それには「原因」があります。その第一原因者を神あるいは実相というのであります。

前述の<1808>で、
「卵が孵ってイモムシになり、イモムシが変態してサナギになり、それが羽化してアゲハ蝶になる。……「アゲハ蝶」というのが実相、つまり神のデザインであり、神の心動き出でてコトバとなったもの、理念である。卵からアゲハ蝶になる過程が現象である」

と書きましたが、本当は、形に現れたアゲハ蝶はもはや実相ではない。それは現象であります。卵の時から、現れて見えなくても既にある神のデザイン、アゲハ蝶の理念が実相であります。

現れているものはスクリーンに映し出された映像、テレビ画面に見える映像と同様、影に過ぎず、本当にあるものではない。だから「現象はない」というのであります。

ですから、「卵が孵ってイモムシになり、イモムシが変態してサナギになり、それが羽化してアゲハ蝶になる」過程を「自然状態」というならば、それはすべて現象であります。

その意味で「自然状態」と「実相」を混同してはならないと思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板