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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1811志恩:2011/10/14(金) 18:08:40 ID:psrFh/ZU
「現代に生きる古事記研究会」・「古事記物語」より

〜天皇制は、天皇のためでなく国民のために必要だった〜

天皇国のように、人民の利益をもって政治の鏡とする(相手の利益を考える)とき、主権在民の理想は、国民至福の思想。
もともと、古事記の理想は、民主主義です。自分の勝手で良いというのではありません。「人々が歓喜(よろこ)んで生活し、負い持つ業をたのしめるような政治』
であるならよいのです。

それは、皆が同じ思想や考え方になるのではないのです。種々の考え方のあることを大切にするのです。反対の考え方の存在することを十分l考慮して、神集いをし、利己心を捨てて神議り(かみはかり)に議るのです。
これは、神代からのことですから、それを神習いしていくのです。

このような、天皇制は日本以外にはありませんでしたので、外国の思想でなければ進歩的でない。と考えている学者や知識人、政治家には理解し得ません。しかし、人類のあらゆる思想が出尽くした今後、人々は、天皇制が、天皇のために必要だったのではなく、
国民のために必要だったのだ。と気ずくのも間近かでしょう。


〜天皇の資質〜

天皇の資質には、英雄、武力、霊能力、統率力、聖哲の徳、天才的才能等は、いらないのです。
むしろ「神を畏れ敬う心、下々の人たちの生活や心を思いやる」というきもちがあるか。平凡でいいから、「人間らしい真心や誠実さがあるか」「国民の一大事には、何時でも、財産はおろか、自分の生命も投げ出す母性本能のような天皇」であるかが問われるのです。

「神ながらなる天皇国日本のあり方」が、古事記の理(ことわり)と精神として暗示されているのです。思想の中立が、天皇国の神道なのです。

それほどに厳しい天皇家存在原理の精神があるからこそ、長い歴史の間、政治家や武力者など幾多の権力者が、天皇の座を奪おうとしても、、、、奪えないで今日まで続いてきたのです。

古事記・日本書紀に流れる精神では「天皇は、絶対である」とは,書かれておりません。
それどころか、間違いは隠さず述べて戒めとしています。

、、、、、、人民の声は,神の声、、、雄略天皇は、人民ことごとく「徳(おむおむ)しく有(ま)します天皇なり」と言っております。


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