したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1794さくら:2011/10/13(木) 11:52:18 ID:T/77sMGw
初心者さまは、シニフィアンの暴走と、その結果としての教義のイデオロギー化を、何をなそうとしているのかを、知らずになそうとすることからおこることを示されていたと思います。。
生長の家は、何をなそうとしているのか知らないでやっている、そのことによる教義のイデオロギー化を指摘されておられたように思います。

日本は、古事記が編まれた太古から明治のころまでかは、天照大神の子孫である天皇を宗家とする家族国家という認識が一般的だったと思います。「共同体の象徴的秩序が築かれ、そうした秩序にもとづいて、人々の関係性がきずかれていた」そんな時代であったと言えるのでしょうか。
大正デモクラシーの風潮で、個人主義、懐疑主義の流行から、一部の専門家の間で天皇を絶対的な神的存在とする説が始まったようですが、さらに天皇の神格化がすすむ契機となったのは、大戦による他国の君主制崩壊への危機や、共産主義国家に対する脅威であるようです。
集団の団結を強化するのに、その国の重要な文化とか宗教の伝統が利用されやすく、この時、神道や天皇崇拝が、戦争計画への国民統合に利用されました。
それが、今だ右翼などの暴走の一助となっているようですね。
集団の統合にシニフィアンの暴走によるイデオロギーが利用されることは、よく行われていることだと思います。

宗教組織というのもまた、特に、教義をイデオロギー化して、集団の統合に利用しやすい面がありますね。
教義は、信徒にとっては絶対なものなので、1人1人の意識は、「どの方向に自分たちがいる組織が向かっているのか」と、考えることにあるのではなく、その教義にあてはまった行為や思考に従うことを第一にするような気がいたします。
それが盲目的になると、カルトのような実態になっていくと思いますが。
組織の方向性は、絶対的な指導者であったり、中央に近い一部の人間であったりに託され、それは真理や教義に絶対的に正しいものに基づいている信念を植えつけられたりします。
また所属する組織への幻想や、同一化の意識の問題もあるとも思います。

生長の家は、様々な立場の人が、組織のあり方を考えていける、やはり素晴らしい開かれた宗教団体であると思っていました。

しかし、様々。今まで築かれてきた本部の体質、や今の状況には、正直、疑問をたくさん感じてます。

本来生長の家が、自然状態への回帰に向かっているなら、組織のあり方も、
「共同体の象徴的秩序が築かれ、そうした秩序にもとづいて、人々の関係性がきずかれていた」時代のあり方に、回帰していくのが本来の姿であったのでしょうか。
初期のころは、小規模だったこともあると思いますが、家族的な雰囲気にあったようですし、地方の方でそのような雰囲気も残っているとも思いますが、実際中心帰一の教えのもとに、中央集権的な?組織化が行われてきてます。本部の方針が、自然回帰への道をいっているとか、実相顕現を目指しているとは、言えないと思いますが。
この辺も含めて、色々矛盾はありそうな気がしています。

なかなか、読み込んで考えるのは、時間も限られてるし、大変ですね、。
理解がずれてたら、気が向いて時間ある方でもいたら、ご指摘ください。
・・わかりやすく、

で、これ昨日書いたんですけど、また、色々書き込みがあって読まないといけない、
展開早すぎる・・


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板