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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1789
:
初心者
:2011/10/13(木) 09:44:24 ID:4IaAZAME
トキ様
ご助力の申し出を受けてくださいまして、ありがとうございます。なにをご助力いただくか、ということでありますが、その前に、ここでわたくしが何なそうとしているのかを、簡略に申し述べさせていただくことにいたします。
出発点は、生長の家は何をなそうとしているのか?という疑問です。具体的に何をしたいのか、それがじつは、組織を離れて20年以上もたった今もわからずにいるのです。
生長の家がなそうとしていることを明らかにする。これが、今回の対話の核心になるかとおもいます。わたくしは、ジジェクにならい、人類の意識のあり方を、自然状態と文化的状態にわけて考えることにいたしました。それはつまり、左脳と右脳が分離されているか、つながっているかによって区別される意識状態を問題にする、ということでもあります(ただし、左脳と右脳の問題は、ジジェクとは無関係です)。
そこでまず、自然状態における意識を「共同体意識」、文化的状態における意識を「個人意識」と名づけることにいたしました。ここでわたくしは、「個人意識の救済の不可能性」について述べるつもりです。個人意識は救済の対象にならない。これを、いくらかあやふやにではあっても証明することで、生長の家の目的が個人救済ではない、ということを立証いたしたいと考えております。
個人意識が救済の対象にならないとすれば、のこる対象は共同体意識ということになります。共同体意識とは、個人意識が発生する以前の人類意識と定義することができるとおもいます。生長の家が何をなそうとしているのか、を明確化するには、まずは共同体意識とは何かを明確化する必要があると考えます。
天皇制もまた、個人意識ではなく、共同体意識とつながっているはずです。雅春先生は、この点を強調されたかったのだとおもいます。つまり、生長の家が対象とすべきは、文化的状態ではなく自然状態であると、とわたくしは考えます。「実相」とは、文化的状態に向けたリップサービスであるような気がいたします。けっして救済されることのない個人意識をなぐさめるためのリップサービスであったという気がしてなりません。
自然状態は、実相という超越項を必要としない。そのような気がいたします。この意味で、生長の家がなすべきことを明確化するには、自然状態と実相世界を混同しないという課題を、まず最初にクリアする必要があると、個人的には考えます。
この場で、わたくしがなそうとしているのは、個人意識の救済の不可能性について言及することです。トキ様には、自然状態についての考察と理解を担当していただければと考えております。志恩様が引用しておられる、「栄光は、個人から『神と人類』に返される」場所が自然状態であると考えます。トキ様には、まことに勝手ながら、自然状態にかんするみなさま方のご意見をまとめていただき、生長の家が向かうべき方向性を明示していだければと考えております。
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