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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1780志恩(教頭):2011/10/12(水) 22:14:34 ID:psrFh/ZU
「和耕軸」

「古事記の理と、、、、宗教思想の光源の共有」より

☆ 樹木に学ぶ

古事記は、樹木を、神の原理を暗示するもの、、としております。この樹木の成り立ちから、生物の「品種の違い」や「成長段階」の違いを観察してみると、「正反対の性質と育成の方法」のあることが分かり、このことを、
人間にも当てはめて考えることができれば、
「それぞれ次元の異なった成長段階(認識のレベル)の必要性」のあることを、説明することが出来そうです。

「種」の時期は、じっと天岩戸に籠って、あたらしい生命を育んでいます。
「発芽』の時期は、根を張る為に、地上とは反対の方向に向かって進むのです。
「双葉」は、本葉とはちがっているために、無知な人々は、抜き捨てやすいのです。
「枝葉の成長』の時期は、目的によって剪定(教育)方法はまったく異なります。
「花が咲く」時期は、肥料も、花の咲かせ方も目的によってまったく異なります。
「受粉」は、在来の実を得るか、品種改良をするかによって、方法が異なります。

人間は、この樹木の成長過程のように、誰もが、個別の個性を持っているのですから、私達は、先ずこのことを確認し、認め合い、尊重した「神習い」の生き方を意識していかなければなりません。

    
◎「古事記の理」の第一は「諸々の命は、教えている」ということです。
 教えているのは、誰か特定の神や人ではありません。種々のということですから、語り教えているのは「聖人や指導者、先人」だけではなく、「外価値の問題や災い、困ったこと、嫌なひとたち」など、すべての、
 「言、事、物、人」を通して「ここに『内価値』あり」とささやいているのです。


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