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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1778
:
トキ
:2011/10/12(水) 21:05:57 ID:k7.Dct06
初心者様
神道で自然状態についてですが、個人的な経験があります。
生長の家ではないですが、ある山岳信仰に凝っていた高校時代の友人がいて、
しょっちゅう、山の中で滝行に行っていたのですが、ある日、突然、発狂した事があります。見舞いに
行ったら、訳の分からない事を言っていて、これは考えものだなあ、と思った経験があります。
この人の場合、指導者に恵まれなかった面もあり、結構、自己流で修行をしていたのですが、
それが災いをしたみたいです。
自然状態と言っても、良い面だけではなく、病気をしたり、怪我をすることもあります。
霊的には低級な霊が取り付いたりする事もあります。友人の場合、不幸にして、その被害にあったみたいです。
古神道で教義がない、と言っても、好き勝手が出来る訳ではなくて、やはり自然状態もそれなりの危険
があります。おそらく、古神道の先達は、いろんな経験を通して、ある種の限界や危険を知り、それを
伝承する事で、人間が安全な形で修行ができるようにしていたのでしょう。それが、ある意味では、彼らの
「教学」なのかもしれません。
これは、古神道だけではく、例えば、アイヌ民族の方々の信仰も似たような面があったと聞いております。
これは私の偏見ですが、自然の中に人間が入る場合、それなりの礼儀も必要だし、心構えも大切だと
思います。都会人がノコノコ森の中に入って行っても、森の側がそれを受け入れてくれるとは限らない部分
はあるとおもいます。
例えば、生長の家では、神想観をする前に招神歌をとなえるように、自然に入る前には、何か人間の側でも
作法が必要なのでしょう。それを無視すると、友人のような状態になる可能性があります。
宗教をする人であれ、または仕事で森の中にすむ人であれ、自然の中でいきている人達は、自然状態を手放し
で礼賛するのではなくて、おそらく問題点とか批判面もあり、その上で、ある種の宿命として受け入れている
のかもしれません。
ですから、これから自然と共存をしようと考える生長の家ですが、ここはあえて、自然状態について、きびしい
面も正直に議論をする必要があると思っています。
ウイッキペディアに神道やアニミズムに関する説明があり、結構、面白かったのですが、それを引用する
のは面白くないので、あえて別の視点で考えてみました。どうも、出来が悪いですが、お許し下さい。
合掌 ありがとうございます
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