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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1770初心者:2011/10/12(水) 17:01:35 ID:4IaAZAME
役行者様

さきほども書きましたように、わたくしは、生長の家は、丸ごと、ダブルバインド状態に陥っているような気がしております。こうした状況を抜け出すのは可能かと存じますが、そうなったときに何がおこるのでありましょうか。

教団の目的が明確となり、ひとつの方向へと向かい始めたときに、教団の解体がはじまるやもしれません。矛盾があらゆる同一性の内的な条件であるとすれば、矛盾が解消したときに、それとともに同一性がうしなわれ、教団は解体へと向かう危険性がないとはいえないとおもうのであります。「彼らは生長の家がなにをなそうとしているのかを知らない。しかし彼らは生長の家をやっている」からこそ、活動や信仰をつづけることができているのかもしれません。人間とは、まことにもって複雑な生き物であります。

さて、縄文時代から弥生時代への移行にさいして、自然状態から文化的状態への移行がはじまったとする見方ができるとすれば、その時期に、左右の脳が脳梁によって結ばれるという構造的変化が、脳におこっていたはずであります。おそらく、こうした変化は、地球規模で、全人類を巻き込む形で引き起こされたにちがいありません。もしそうであるとすれば、こうした進化が、人類にとって必然であったともとらえることができるようにおもいます。


脳の構造的変化が必然であったとすれば、文化的状態へのひきこもりもまた必然であったということになるはずであります。そうであるとするなら、これは、文化的状態へのひきこもりを、たんに否定的にとらえるだけですむ問題ではない、ということにもなってくるのであります。

二分心の提唱者である、ジュリアン・ジェインズによれば、自然状態から文化的状態への移行は、かならずしもうまくおこなわれたわけではなく、内なる声として聞こえていた神の声を、外なる声として聞かざるを得なくなったといったような問題をふくめて、さまざまな問題が、人類意識において発生したということになるようです。こうした問題点を修正するために、ブッダやキリストは出現しなければならなかったとまでいわれているようなのであります。

新時代の意識が、ブッダやキリストの出現を要請したとするなら、これはなかなかに面白いテーマであります。こうした問題に真正面から取り組めば、とてつもない大スケールで、物語が語られることになるでありましょうね。


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