[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1769
:
役行者
:2011/10/12(水) 16:51:59 ID:5JisqZbg
>初心者さま
さまざまな問題が交錯し、織り込まれているので、確かに、難解かと存じます。
>◆2つの混同の問題を解消する必要があると考えます。2つの混同を明確に
し、それによって、生長の家がなにをなそうとしているのかということを明示す
ることによって、シニフィアンの暴走と教義のイデオロギー化を終焉へと向かわ
せることができるはずであります。そうすることで、はじめて本格的な和解の道
がはじまると、このように考える次第であります。<
異議はありません。スケールの大きな課題です。明らかになる日を楽しみにし
ております。また、一同ともに、真剣に、支援、協力させていただきます。
>◆それと、縄文時代と弥生時代との区分でいえば、縄文時代がより自然状態に
近いということがいえるとおもいます。そこで、自然状態の時代とはどのような
時代であったのか、これを明確にできればとおもいます。<
ここは、義春さん!歴史です。お頼み申す。申されて_(._.)_
>◆天皇国日本の実現を実相の顕現へと結びつけることには、抵抗があります。
それはむしろ、自然状態への回帰としてとらえるべきではないのかと、個人的に
はこのように考えます。自然状態への回帰と実相顕現との混同が、教団内部でさ
けがたくおこなわれてきたような気がいたします。これを1つの問題として提起
いたしたいところであります。<
天皇国日本の実現は、自然状態への回帰!確かに、
すんなりと受け入れることができます。
天皇国日本が軍国主義というシニフィアンと繋がったら、
決して、天皇陛下が望まれない方向に暴走することがあるから、そのようなこと
を避けるためにも、大切な問題提起と思われます。
>◆個人意識(意訳;近代、現代)とは、文化的状態へのひきこもりによってもたらされた意識であり、<
>◆共同体意識(意訳;縄文、弥生時代)とは、自然状態における意識に近いものであるとおもいます。<
>◆こうした、2つの、時代背景が異なる意識が混同されていることにより、
生長の家の目指すべき方向性が、きわめて不明瞭なものになっている点が問題な
のではないかという気がしております。<
生長の家が問題にしてきたのは、個人意識ではなく共同体意識ではないかと、
また、生長の家は、個人意識と共同体意識の、いったいどちらを問題にしようと
しているのかと、初心者さまは述べられておりますが、この辺が理解出来ないの
です。どちらも、問題にしなければならない課題かと存じますが・・・
また、個人意識を問題にしてきたからこそ、個人の救済があったのではないかと存じますが・・・
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板