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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1758初心者:2011/10/12(水) 07:22:07 ID:4IaAZAME
義春さん

今回のテーマは、非常に多岐にわたるとおもいますが、やがてひとつにむすびつくものと考えております。

わたくしは、まずここで、シュタイナーの歴史観を提示したいとおもいます。シュタイナーの歴史観の特徴は、外的な資料にたよるのではなく、内的な感覚にもとづいて組み立てられているということだろうとおもいます。

外的な資料にたよる歴史観と、内的な感覚にもとずく歴史観のちがいは、通常の歴史観が、物質界における出来事を問題にするのにたいして、シュタイナーは、アストラル界における出来事を問題にしている、と言い換えることができそうであります。

そのシュタイナーは、人類の歴史を、大きく3つにわけて考えます。まず最初が「対象記憶の時代」、そのつぎが「リズム記憶の時代」、そして最後が「時間記憶の時代」というような具合であります。

「対象記憶の時代」では、人々の記憶は、つねにモノとむすびつくことになります。それは、特定のモノを見たときに、そのモノにまつわる記憶が呼び覚まされる、といったような記憶の仕方であったようです。ですからそれは、重大な出来事がおこれば、その出来事の記憶を呼び覚ますために、記念碑を建てるということが日常的におこなわれていた時代であったようであります。

つぎに訪れるのが、「リズム記憶の時代」であります。この時代の言葉は、言語というよりも、むしろ、リズムに近いあり方をしていたとシュタイナーは考えます。こうした時代にあっては、「対象記憶の時代」とは異なり、特定のリズムによって、それにむすびつく記憶が呼び覚まされるという意識のあり方が出現した、と考えることができそうであります。

そして現代はといえば、それが「時間記憶の時代」ということになります。これは、おもに言語を用いることで、記憶を時間的に、いくらでもさかのぼることができるという意識の時代でもあります。

義春さんがいっておられる山岳信仰の感覚の根拠が、「対象記憶の時代」や「リズム記憶の時代」にあるのは、あきらかでありますね。シュタイナーは、「時間記憶」だけにたよるのではなく、「対象記憶」や「リズム記憶」の時代の意識を体験することの重要性を説いているようであります。自然との共生を考える上で、こうした太古の時代の記憶や意識のあり方を再体験することの意義は、ことのほか大きなものであるという気がいたします。

義春さんの実体験による経験は、それが、まさしくこうした意識のあり方の再体験であったという意味では貴重なものであったはずです。今回の投稿で示されたような方向性で、自然状態とは何か、というテーマを追究していただければと願っております。

それと、日本における文化的状態への移行が、仏教の伝来によってもたらされたという考え方、そしてそれが明治の時代になって、さらに決定的になったという考え方は、役行者様が示された方向性とおなじでありますね。このことにつきましても、できれば、より詳しく考察していただければと考えております。


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