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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1751
:
初心者
:2011/10/12(水) 00:03:36 ID:4IaAZAME
役行者様、訊け管理人様、義春さん、対話にくわわっていただき、ありがとうございます。とりあえず、自然状態と文化的状態の概略については説明いたしましたが、この対話において、何を問題にしているのかということを、これから述べさせていただくことにいたします。
まずは、自然状態から文化的状態への移行は、意識の発生と関係があるのではないか、ということであります。もしそうであれば、文化的状態へのひきこもりは、意識の発生にとって必要不可欠な条件であるということになるかとおもいます。
こうした条件を加味したうえでの、文化的状態の評価が、まず第一に必要になってくるとおもうのであります。すでに説明いたしましたように、文化的状態における意識は、言葉によって織りなされた意識でありますから、必然的にそれは、空無ともいえる否定性をともなってあらわれてくることになるのであります。その理由は、言葉それ自体が空無なネットワークでありますから、したがって、言葉によって織りなされた意識は、これもまた、必然的に空無な否定性としてあらわれるしかない、ということが考えられるのであります。
さて、ここで問題となりますのは、空無な否定性としてあらわれた意識にとって、世界は、必然的に空無な存在として認識される、ということなのであります。これがつまり、生長の家で説く「現象はない」という考え方とも一致するのでありますが、わたくしが、まず第一に問題といたしますのは、生長の家で説く現象世界とは、以上に述べてきたような、空無な否定性としてあらわれてきた意識によって認識された世界についていっているのではないか、という、その可能性なのであります。
これはつまり、意識にとって、世界はたしかに空無として認識されるにしても、だからといって、意識によって認識される以前の「世界それ自体」が空無であるとはいえないのではないか、という素朴な疑問でもあります。生長の家で説く「現象なし」とは、意識発生以前の世界がすでに実在しない現象世界であるということをいっているのであります。
意識によって認識された世界は空無であります。わたくしたちの意識にとって、現象はたしかに非存在であります。「現象なし」の真理は、この段階ですでに完成されてしまいます。この意味において、「現象なし」とは、意識によって認識された世界について述べているものと考えることができます。では、意識発生以前の世界については、その非存在を如何にして知ることができるのでありましょうか?まことに勝手ながら、この問いを第一の公案といたしたいのであります。
このあたりの考察からはじめて、役行者様や訊け管理人様によってお示しいただいた方向性へと、対話を展開してまいりたいと考えております。自然状態と実相世界との関連をどのようにとらえればよいのか。これを最終的なテーマにいたしたいとおもっております。
勝手に登場して、みなさま方を巻き込み、まことに申し訳ありませんが、どうかみなさま方も、それぞれのお考えを展開していただきますよう、お願いいたします。ことに、ここでいう自然状態を、古事記あるいは神道との関連において語っていただきますことをお願いいたす所存であります。わたくしはとりあえず、文化的状態を中心に追究してまいりたいと考えております。
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