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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1745役行者:2011/10/11(火) 17:00:47 ID:9NPAWgGY
>初心者さま
自然との共生、というテーマで、対話を前提に、問題提起してみました。

◆一点目◆
>自然状態から文化的状態への移行の問題ということであります。<

 言葉、特にロゴスの出現に深い関係がありますので、自ら名乗り出た義春さん、
よろしくお願いいたします。


◆◆
とはいうものの何の裏付けもないのですが、簡単に個人の見解を述べます。
日本の歴史史上で、仏教とキリスト教との出会いが日本を変えてきたと思われま
す。それは、実相を説く仏教、肉体はない(否定)を説くキリスト教、これらは、
超越項なので、理解に苦しみます。常識を物差しにしたら、何のことだか分から
ないのですから・・・

自然を信仰の対象にしていた神道国日本にとって、これらを受け入れることは、
大きな転換期であったと思うのです。
ですから、西欧の受け入りで、仏教もましてキリスト教に至っては、シニフィア
ン的解釈、つまり平面的な解釈しか出来なかったのでしょう。そうすると自ずと
ロゴスとなって、日本を蝕んでゆきます。
 日本においては、奈良時代、そして、明治維新の文明開化が、文化的状態への
移行期間であったのではないでしょうか?

もっと、遡れば、国つ神、天つ神の問題に行き着くとは思いますが・・・
◆◆


◆二点目◆

  >「ある」という肯定性によって示される自然状態とは,
いったいいかなる状態なのでありましょう。じつは、わたくしには、これが判然
とはいたしません。<


ロゴス出現前の状態、老子のいう、無為自然、ですか.
有為でない、はからいのなき状態なのでしょう。つまり、わたしも判然としない
です。
深く対話する必要性があります。


◆三点目◆

 > しかも、生長の家は,
文化的状態への移行によって避けがたく生じた「『ない』という否定性によって
示される主体」の問題を解消するために、「実相」という超越項を持ち出すこと
になります。こうした超越項が、古事記や神道ともかかわりがあるやもしれぬ自
然状態といかなる関係にあるのか、それを明示する必要があると考えます。<

>生長の家は、わたくしの見るところでは、主体の空無化をまねいたともいえる
文化的状態へのひきこもり、の問題を解消するために、実相という超越項と、自
然状態への回帰の呼びかけ、というふたつのあるべき姿を、ともどもに提示して
いるようも感じられます。
ここで問題となるのが、実相と自然状態との関係であります。<

 生長の家では、「そのままであれ!」を実相と読むことがあります。
 超越項「実相」と「そのままであれ!」が果たして、イコールで結ばれるのか?
大切なテーマです。また、「そのままであれ!」が自然状態、無為自然の摂理と
した場合でも、「実相」との関連性の解釈を必要とします。

 いずれにしても、生長の家の教えの問題というより、仏教やキリスト教に関わっ
てくるスケールの大きな問題ではないかと、勝手な解釈をしております。

自分の見解を述べながら、問題点をまず、三点に集約させて頂きました。


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