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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1554トキ:2011/09/19(月) 16:24:24 ID:7WZYehbA
 こんにちは。相変わらず、バタバタしております。

>>生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

 活況を呈しておりますが、ノンビリと書きたい方は、他の掲示版をご利用下さい。

 個人的な考えですが、議論をする事は素晴らしい事だと思います。
少し余談になりますが、雑誌「歴史と人物」(中央公論社)昭和56年2月号は、
「証言 二・二六事件」と題して、当時の関係者の証言を掲載しております。ここに
書かれている証言を拝見していて、面白かったのは、関東の青年将校と関西の青年将校
とで、はっきりと二・二六事件や北一輝への態度が異なっていたからです。

 二・二六事件に参加した青年将校のうち、死刑を免れた青年将校の方々3名と下士官
1名の方、さらに軍法会議の判事の方々2名の座談会が掲載されています。この方々は
関東地方の部隊に勤務をされていた方々でした。
 その証言によれば、

 「類をもって集まると、グループの中で通用する論理がどんどん進化する。外部に漏らさない
ようにしたので、よりいっそう一般の将校、下士官からは遊離していたかもしれないが、特殊な
一部の人間にだけに通じるものがあった。」(常磐稔氏、当時、陸軍少尉として蹶起軍に参加、
P68)

 「村中君や磯部君、そういう指導者が頭がカーとなって、それが周囲の人達を連れて行った
ような感じですね。」(杉田一次氏、当時 陸軍特設軍法会議判事、p82)

とあります。


 他方、当時、杉本五郎氏(「大義の著者」の著者)とともに広島在住の陸軍大尉で、共に
関西以西の青年将校運動の指導者的存在だった常岡瀧雄氏の証言によれば、

 「北、西田に親しい者を含めた近畿以西の青年将校の会合を大阪湾の沖に船を出して
甲板上で開き、青年将校は北、西田より離れるべきとの決議を行った。決議後、大阪聯隊の
蟹江中尉がこの決議文を携えて上京し、説いて回った。」(P134)

とあります。大義の著者 杉本五郎中佐も常岡氏と同じ考えでいたともあります。この人達
は、ついには、北一輝を治安維持法違反で東京地方裁判所に告発するに至ります。それは
昭和11年2月24日で、翌々日に二・二六事件が起きてしまった、と常岡氏は慨嘆してお
ります。常岡氏が、二・二六事件にはきわめて厳しい評価を下していたのが印象的でした。

 ちなみに、二・二六事件の勃発に危機感を覚えた常岡氏が、杉田氏に強く勧めたのが、「大義」
執筆の動機になったとの事です。


 やはり、広く議論をすることが、運動を正しい方向へと導くものであると感じました。

あ、ちなみに「関東」と「関西」を分けたのは偶然で、別に「関東」が間違っているとか
「近畿以西」が正しい、とか言う意味では、全然ありません。誤解のない様にお願いします。

合掌 ありがとうございます


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