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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1531初心者:2011/09/16(金) 14:18:02 ID:4IaAZAME
山下一臣殿の、子記事にて示されたあのご高説は、わざと具体的な言及を避けておられる
のでしょうか。ひと言でいえば、雅春先生とは解釈が異なる、よって、総裁先生の解釈は虚説
であると、このようにいっておられるとしか思えないのでありますよね。

問題にされているのは「差異」だけですね。雅春先生の解釈との差異、これだけを問題に
していますね。差異があれば、すべてが虚説である。このように主張されていますね。

差異を問題にするかぎり、「真説と虚説の2分法」は永遠に正当化されません。なぜなら、
真説もまた虚説との差異によって説明されてしまうことになるからです。「病気はある」と
いう主張と、「病気はない」とする主張との差異。この差異をもって真説とするかぎり、虚説
との2分法は、永遠に正当化されることはありません。

総裁先生の解釈を虚説であると断じるなら、その解釈だけを詳細に分析することによって
虚説と断じるべきであります。雅春先生の解釈との差異だけをもって虚説と断じるがごとき
安易な手法はもちいるべきではありません。

総裁先生の解釈を具体的に書きなさい。そして、その解釈の問題点を具体的に述べなさい。
差異だけをもって虚説と断じてみたところで、それが世間に通用するとでもお考えなのでしょうか。


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