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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1508初心者:2011/09/15(木) 16:24:06 ID:4IaAZAME
「真説と虚説の2分法は正当化できるのか」という問いかけを、参加者殿にいたしましたが、
いまだ返信はいただけていないようです。

とりあえずここでは、「真説と虚説の2分法」にかんする私見を述べてみることにいたします。
「病気はない」。これが真説であるとします。「病気はある」。これが虚説ということになります。
ここで虚説を討って消滅させたとします。「病気はある」という虚説は、地上から完全に姿を
消しました。するとなにがおこるでしょう。答えは歴然としています。「病気はない」という真説
もまた、地上から姿を消すということです。

「病気はある」とい虚説があるからこそ、「病気はない」という真説は成り立ちます。
「病気はある」という考えを誰も持たないとすると、「病気はない」という考え方が出てくる
はずがありません。真説はつねに、虚説に依存するということです。虚説なくして真説は成り
立たないということです。

虚説を討った瞬間に真説は消滅します。真説が存在しているということは、虚説がどこかに
かならず存在しているということです。虚説を根絶やしにするということは、真説の消滅を
意味しますね。

このようなわけですから、真説を後生大事に抱え込んでいる人たちが、虚説の消滅を本気で
望んでいるとは、とても考えることはできませんね。「虚説を討つ」。これは、見せかけの
ポーズということでありますね。

真説と虚説の2分法は正当化できません。真説と虚説は表裏一体の関係にあります。片方が
欠ければ、あとの片方は存在することができません。真説はつねに、虚説によって語られると
いうことです。

雅春先生の教えを護りたいのであれば、そのもっとも手っ取り早い方法は、虚説を護ると
いうことです。まちがっても、虚説の消滅を実現させてはならないということになって
しまいますね。

「実相独在」。心地よい言葉です。ですが、もしも実相が独在であれば、それが実相であること
をどうやれば知ることができるのでありましょうか。実相は非実相に依存する。言語学的には、
このように考えるのが真説であるような気がいたします。もしそうであれば、「実相独在」は
虚説ということになってしまいますね。

これだけのことを書けば、反論が、どこからともなく飛んできそうでありますね。やっかいな
ことです。あたくしも、不用意に思いきったことを書いてしまったような気がいたします。
トキ様。こちらの掲示板も、本流掲示板どうよう、「反論なし」ということにしていただけ
ませんでしょうか。


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