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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
15
:
初心者
:2011/06/15(水) 15:24:25
投稿が少ないので、みなさんドンビキなされたのかと心配しておりました。
無駄口はさておき、
今回の1件で、今おきている問題の本質がつかめたような気がしてきました。
生長の家は、どうやら教団ごと、歯止めのきかない経済システムに呑み込まれつつある。
そんな予想を立ててみました(といっても、今回の1件がこのことに関係するのかしないのか、
現時点では不明です)。
この予想が正しければ、本流掲示板で語られていることに意味はありません。
この動きを止めことは個人の力では難しい。これが理由です。
すでに大きな流れが始まっているのかもしれません。
昨日の記事で、自由主義から新自由主義、
そして「第3の道」にいたる経済政策の変遷についてふれました。
教団内でおきていることは、こうした流れに沿ったものだとも考えられます。
自由主義とは、いってみれば中心帰一の経済です。
国家が中心になってすべての国民の面倒をみる。このような体制でした。
新自由主義とは、国家が国民を見放す政策です。
仕事の機会は与える。あとは自己責任で勝手にやってくれ。
現教団がまさにこうした体制にあるとは考えられないでしょうか。
多くの信徒が教団から見放されました。
真理の言葉はすでに与えてある。あとは自己責任で勝手に信仰してくれ。
ひと言でいえば、こういうことなのでしょう。
経済のグローバリゼーションは、国家に見放された人々の暮らしを直撃しました。
外国から安い製品が入ってくる。
それは自己責任で対処できるレベルを超えた問題でした。
自己責任とはあんまりだ。こうした声が、あちらこちらから上がるようになりました。
矛盾を解消するために採用されたのが、ギデンズの「第3の道」でありました。
教団に見放された信徒は、個々ばらばらに途方に暮れているに違いありません。
こうした状況を解消する方法があるのでしょうか。
そのヒントが、ギデンズの「第3の道」にある。わたしはそう考えます。
かつては国家が担っていた役割を共同体に担わせる。
これが「第3の道」の基本であったはずです。
これに倣うなら、かつては教団が担っていた役割を地域がすべて引き受ける。
これしかなさそうです。
地域がふんばるしかない。
これからは、こういう流れになりそうです。
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