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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1344山ちゃん1952:2011/09/06(火) 16:21:50 ID:VYuJjPQo
皆様へ
私のような我侭な偏屈な人間はいないんだろうな、しかも天邪鬼ときている。
それじゃ全く駄目人間かな?

ただ、偏屈な人間が長く生長の家を行なったのは「無知」だったからと思う。
あまり世間を知らず、子供のように「疑問」がその根底にあった。それと、それを
行なえばどうなるかを考えていたことも事実です。
だからおかしいと思ったら、つい云ってしまって失敗することがある。
今回のいろいろな事も普通であれば「おかしい」のだけれど、我慢強い人間は我慢
出来るので尊敬する。

それとひょっとして「その人間」は変わるかもしれない「楽観的希望」がそのように
させているのでしょうか。
だがその「楽観的希望」という言葉は嫌と言うほど聞きました、耳にタコ出来る
ほど聞いた。
でも、それで変わった人間はほとんどいません。いたことも事実ですが少人数
であることは間違いありません。
昔、地方講師のご子息に家庭訪問行きました。何百件と行きました。
ベルを鳴らして
『●●青年会です』
地方講師の御母さんが出てきます。
『○○君いますか』
『今手が離せなくてごめんなさい』
と部屋を気にしている。
『全国大会の参加促進をしております』
『ああ!聞いています。白鳩会からもパンフレット頂いています』
『今回は是非行っていただきたいのですが』
『ごめんなさいね、うちの○○君は忙しいと言っていますので・・・』
『家に○○君おられましたら、呼んでいただけますでしょうか』
『○○君は今は時期が早くて、皆様のようになかなか活躍出来ません』
少し納得いかずに
『とりあえず、話させていただくわけにいかないでしょうか』
地方講師
『私のほうで「神の子」さんですから必ず青年会に行くようになります。』
もう一度会う事を
『私達の方から伝えてはいけないのでしょうか』
地方講師
『ごめんなさいね、今取り込みしていますので、また連絡致します』

ほとんどはこんな会話で終わった。なかには強制的に会わして頂くご子息もおられ
ます。

こうして何十年という形で青年会で家庭訪問しましたが、今、そうした中で
活動会員はいません。
よく私達は言ったものです。
「きっと良くなる」とかは『希望的観測』であると思っています。
そうなって欲しいとわかるが、何もしていない事です。
だから「希望的観測」はイコ-ル「何もしない」と思っています。
しかも「言っている」だけでも「何もしない」といわれても仕方がない。

そうで合って欲しいが神のみぞ知る。ただしほとんど努力しない。
そんなんじゃ。無理ですよ。
そう言ったほうがいい。なんら努力や成果もなしに「そうなって欲しい」というのは
私といっしょで「我侭」なのです。


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