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管理者日記
204
:
メビウス@管理者
:2012/11/10(土) 14:30:30
ライプニッツも修正の必要があるな。
モナド論はわかったようでわかってないような気がする。
ヒラリー・パトナムその他、Wikipediaを適当に加筆修正しただけのページも
大幅に書き直したい。
実在論のページ書き直しがいつになるかわからん。
205
:
メビウス@管理者
:2012/11/11(日) 15:04:01
とりあえずライプニッツのページを加筆修正。
モナド論における自我論は極めて難解。
また時間がとれれば勉強しよう。
206
:
メビウス@管理者
:2012/11/11(日) 21:54:21
Wikipediaの「心の哲学」ではライプニッツが心身並行説をとったと書かれてる
のだけど、そこはスピノザとすべきではないかと思う。年代的にも。
確かに予定調和説は並行説の一種ともいえるけど、一般的にはライプニッツの
予定調和説とスピノザの心身並行説は区別して解説されてると思うし。
207
:
メビウス@管理者
:2012/11/18(日) 00:28:30
戸田山和久は『科学哲学の冒険』で「道具主義」が独立性テーゼに「Yes」と
書いてあるけど、これは間違いだろう。
小林道夫『科学の世界と心の哲学』では、道具主義はカルナップにより主張され、
素粒子のような理論的存在を、マッハのような現象主義者のように「道具」とみなし、
実在と対応するものではないとする……という主旨のことが書かれてる。
実際、マッハや論理実証主義者のカルナップが取る立場なら独立性テーゼなんか認めるわけないし。
208
:
メビウス@管理者
:2012/11/19(月) 20:52:07
「実在論」のページを全面的に書き直した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/91.html
自分の実在論批判はまだ書いてないけど。
それにしても「反実在論 anti-realism」とは紛らわしい呼称だな。
non-realismと峻別するためにanti-scientific realismとすればよかったのに。
日本語に直訳したやつも思慮が足りないと思う。
自分なら反科学的実在論と意訳するが。
209
:
メビウス@管理者
:2012/11/20(火) 23:09:56
>>208
よく調べると反実在論といってもイーアン・ハッキングは存在論的意味も持たせてて、
これは非実在論に近い。
いずれにしても紛らわしいことは確かだけど。
210
:
メビウス@管理者
:2012/11/21(水) 23:12:21
実在論のページにヒラリー・パトナムとファン・フラーセンの見解を加筆。
211
:
メビウス@管理者
:2012/11/22(木) 23:39:06
バークリーのページを加筆修正。
パトナムについてはWikipediaの方が遥かに充実してるのでメニューから消した。
212
:
メビウス@管理者
:2012/11/23(金) 16:56:27
中国語の部屋に自分の見解を加筆。
昨今の機能主義はすでに哲学ではないと思うし。
213
:
メビウス@管理者
:2012/11/25(日) 21:48:41
多重実現可能性に自分の見解を加筆。
ひょっとしたら私の解釈は間違ってるかもしれないとも思うけど。
214
:
メビウス@管理者
:2012/12/04(火) 22:01:32
ティム・クレイン『心の哲学』を入手。
翻訳の問題かもしれないけど、文章がいまひとつだ。
やはりこの分野ではサールが一番だろうと思う。
215
:
メビウス@管理者
:2012/12/11(火) 23:59:32
随伴現象説は心脳同一説に近いのだけど、これはやはり堆積のパラドックスが当てはまる。
それに全ての知識は経験によって得られるとする経験主義に反した大陸合理論的な
主張にも思える。
216
:
メビウス@管理者
:2012/12/13(木) 00:16:23
心的因果の問題について自分の見解を書きたいと思うのだけど、来年になりそうな。
「主客未分」の概念を拡大解釈すると因果関係の順序の否定、さらに拡大解釈すると
独今論に至るような……。
217
:
メビウス@管理者
:2012/12/16(日) 20:34:05
年末で忙しくなってきたので今年は大きな更新は無理かも。
来年の予定としては、
まず無主体論のページの大幅な書き直し。
実在論批判。
デリダの「差延」の再勉強。差延にはゼノンのパラドックスが内包されてるような?
そして心的因果に自分の見解を加筆。
大森荘蔵の読み直し。
ベルクソンの勉強。
以上を春までにやりたい。
218
:
メビウス@管理者
:2012/12/17(月) 20:48:32
デリダの「差延」はどうもひっかかると思ってたけど、
これは時間の実体説(substantivism)を前提にしているからだと思う。
自らに先立った存在者たちを前提にし、それらの「痕跡」があるというなら、
存在を時間的に捉えているということだし。
つまり差延とは、形而上学的な実体概念を批判するために、時間の実体説という
形而上学的な概念を用いているということであり、これは矛盾だと思う。
たとえば、
A = 「私は5時から6時までずっと音楽を聴いていて、最後の曲には感動した」
上の「A」という言葉は、本当にその言葉が指し示す体験と厳密に一致しているのか、という懐疑がある。
ベルクソンは言語と体験の一致の不可能性を指摘したし、大森荘蔵も『時は流れず』でそのベルクソンの洞察に
言及している(p96)。
つまりわれわれの言語とは、体験を「ありのまま」語っているのではなく、語れているのは体験の断片なのだろ
うと思う。
219
:
メビウス@管理者
:2012/12/20(木) 20:51:14
デリダは思想家としては面白いんだろうけど、
サールは哲学者としては失格みたいに評してる。
http://d.hatena.ne.jp/katos/20111201/1322730931
結局、文学や芸術の世界で評価された人物ということかな。
220
:
メビウス@管理者
:2012/12/23(日) 13:50:52
>>193
>実在論の致命的な弱点は二元論に陥るということだと思う。
今読み直すとこれは間違いだな。
実在論というのは「みかけの現象」と「真にあるもの」の二項対立を前提にしてるから、
実在論イコール(広義の)二元論だ。サールが物理主義批判で言ってたことはこのこと
だったろうと思う。
221
:
メビウス@管理者
:2013/01/08(火) 17:33:31
大森荘蔵のページを加筆修正。
「重ね描き」についてはかなり恣意的な解釈かもしれないと思うけど。
222
:
メビウス@管理者
:2013/01/08(火) 23:47:13
大森荘蔵のページをさらに加筆。
知覚因果説批判を書き加えた。
しかしその昔、大森氏の本を読んだ時はわからなかったことが今では驚異的なほどに理解できる。
永井氏流の表現だと、問題意識のレベルが大森氏と同じレベルに達したということかもしれない。
223
:
メビウス@管理者
:2013/01/12(土) 22:02:13
「人格の同一性」のページを修正。
柴田正良の『ロボットの心』再読したら、そんな単純な物理主義者ではなかった。
実在論論争においても大森氏の「重ね描き」を評価してるし。
224
:
メビウス@管理者
:2013/01/14(月) 18:02:36
「現象主義」のページを加筆。
実在論批判をやりたいんだけど、そのためにはバークリーをきっちり読まないといけないような。
225
:
メビウス@管理者
:2013/01/17(木) 01:34:09
ライプニッツのモナド論は数学的プラトン主義と類比的かも。
たとえば、「4」というのは唯一の存在であり、なおかつ、自身が「4」であることで
他の全ての数を表象している。
「7」も「13」もその他全ての数は「4」との関係として存在しているのだから。
226
:
メビウス@管理者
:2013/01/19(土) 01:44:41
大森氏が他我について、アニミズムというのはおかしいと思った。
「立ち現われ」や「加工主義」批判からして、大森氏は無主体論者であるし、
ならば、一時期の西田幾多郎のように過去の自分と他者を類比的と見るべきだろう。
227
:
メビウス@管理者
:2013/01/19(土) 21:28:17
amazonで大森荘蔵著作集見たらべらぼーな値段がついてるw
全巻揃えようとしたら数十万円はかかりそうな。
処分するんじゃなかった。
元から全巻もってたわけじゃないけど。
少しずつ買っていこう。
228
:
メビウス@管理者
:2013/01/20(日) 23:32:58
「形而上学的無主体論」のページを大幅に書き直し。
「現象的意識の非論理性」の部分は削除。この問題は重要なので独立したページを
作ろうと思う。
230
:
メビウス@管理者
:2013/01/30(水) 21:21:15
またパルメニデスのページを修正。
科学史における時間・空間論を少しながら追加し、
マクタガートの時間論の補足のような感じで、時間の実在性を否定してみた。
232
:
メビウス@管理者
:2013/02/01(金) 21:44:27
インド哲学は自分の見解がほとんどないのでメニューから消してWikipeidiaにリンク。
このサイトを始めたときから比べるとWikipeiaもかなり充実してきたので、必要ないページは消していく。
233
:
メビウス@管理者
:2013/02/01(金) 21:57:04
しかし地方に転居したんで図書館の蔵書数がへぼくて使い物にならないのが辛い。
234
:
メビウス@管理者
:2013/02/02(土) 13:34:41
実在論批判は現象的意識の非論理性とイコールなんだけど、同じページにまとめるか迷う。
実在論は二元論なので心的因果という別の問題もあるからやはり別のページにすべきかも。
235
:
メビウス@管理者
:2013/02/02(土) 13:38:20
実在論って要するにプラトン主義なんだよね。
中世普遍論争における普遍実在論と全く同型。
この点も詳しく書いてみたい。
236
:
メビウス@管理者
:2013/02/02(土) 23:24:17
ウィトゲンシュタイン全集も高いなあ。
別に金に困ってるわけではないけど、ベルクソンにバークリーにスピノザに大森荘蔵に……
少しずつ買っていこう。
237
:
メビウス@管理者
:2013/02/03(日) 23:38:46
デイヴィッド・ヒュームのページを加筆。
かなり穿った解釈かもしれないけど。
238
:
メビウス@管理者
:2013/02/04(月) 23:13:36
ヒュームの全集も高いな。
都会に住んでた時は近くに大きな図書館があったから、本なんて全てタダで読めた。
タダで読んで良い本だと思ったやつだけamazonで購入というパターン。
つくづく地方は不便だな。
239
:
メビウス@管理者
:2013/02/10(日) 13:56:02
上野修『スピノザの世界』を参考に、スピノザのページを大幅に修正。
孫引きで恐縮だけどw
スピノザの『エチカ』は簡潔な文体なのはいいけど、理論展開にとてもついていけなくて
すぐ投げ出してしまったw
実際、上野氏も解釈に苦しんでいる部分が多いように思った。
しかし上野氏のおかげでスピノザがヒュームの無主体論と紙一重だとわかった。
スピノザの難解さはその辺にあるのだろうと思う。
240
:
メビウス@管理者
:2013/02/10(日) 13:58:13
先日、ヒュームのページを書き直したんだけど、自分でも全く満足していない。
ヒュームが知覚の二つの原則を矛盾だとしたことは、もっと深く探求すべきかも。
241
:
メビウス@管理者
:2013/02/16(土) 22:24:26
また大森荘蔵のページを加筆修正。
ところで、「創発」は物理主義の立場から主張されたと思ってたけど、この私の理解は正確
ではなかったようだ。
河村次郎の『自我と生命』に、創発とは物理主義的な還元主義に対抗して生まれた概念……
とか書いてある。ティム・クレインの本にも類似のことが書いてあったけれど、意味が明快で
なかったのでスルーしたけど、複数の学者がいうんなら間違いはないだろう。
つまりクオリアが生じる原因についての仮説は三つあり、
1、創発
2、汎経験説(原意識の組み合わせ)
3、還元主義
還元主義に対して創発説が主張され、その創発説に対して汎経験説が主張されている
ということだと思う。
該当ページと関連ページを大幅に書き直さないとな。
242
:
メビウス@管理者
:2013/02/17(日) 23:11:02
還元・創発・汎経験説のページを作って、創発説の由来を書いた。
汎経験説対創発説は上のページにリダイレクト。
汎経験説対創発説はあちこちのページで書いてるので徐々に書き直し。
243
:
名無しさん
:2013/02/18(月) 01:04:14
パルメニデスの項目で表記に不明なところがありましたの御連絡させていただきました。
・
つまり、ほんとうに「ない」ものは断じて「ない」のであるが、
それは言葉では表現できないず※、
言語上の「ない」を、あたかも「ある」と対立して実在しているかのように…
・
細かいことなので申し訳ないですが…。
244
:
メビウス@管理者
:2013/02/18(月) 19:39:09
>>243
脱字でしたね。
>それは言葉では表現できないにも拘わらず
と修正しました。
245
:
メビウス@管理者
:2013/03/01(金) 16:48:33
ライプニッツの自我論を書き直した。
ようやくモナド論を半分ぐらい理解できた気がする。
246
:
メビウス@管理者
:2013/03/03(日) 21:36:36
スーザン・ブラックモアの『「意識」を語る』はインタビュー集で、
色んな哲学者や科学者の意識についての見解がわかるので面白い。
しかし翻訳が酷すぎる。
247
:
メビウス@管理者
:2013/03/04(月) 21:15:27
山形浩生は翻訳も酷いけど、あとがきも酷い。
自分の見解を書くのは結構だがチャーマーズやサールが何を問題にしてるのか
理解してるとは思えない。
この人物は博学なのは確かだろうけど、広いけれど浅い知識しか無いんだろうと思う。
248
:
メビウス@管理者
:2013/03/09(土) 22:06:50
独今論のページを加筆。また自分の見解ばかり書いてしまった。
今度は現象的意識の非論理性のページを作る予定。
実在論批判も書く予定だったけど、考えてみれば現象的意識の非論理性はそのまま
実在論批判になっているので、一緒にしとこう。
249
:
メビウス@管理者
:2013/03/12(火) 00:08:45
やっぱりサールは天才だと思う。
柴田正良が学生たちと「ロボットは心を持てるか」という議論して、
ほとんどの学生は中国語の部屋の思考実験を聞いて「持てない」と
結論してしまうと書いてたし。
250
:
メビウス@管理者
:2013/03/16(土) 21:56:50
今までずっと随伴現象説を性質二元論の下位カテゴリーに位置づけていたけど、
よく考えれば間違いだった。
とりあえずメニュー修正。
251
:
メビウス@管理者
:2013/03/16(土) 23:24:23
随伴現象説の間違いで書き直すべき所が大量にある。
好きな本ばかり読んでたのがまずかった。
心の哲学の基本的な部分で間違ってたのはがっかり。
しかし随伴現象説は基本的には物理主義なんだよね。
ジェグォン・キムとか。
サールが時に物理主義者と批判される理由がわかる。
252
:
メビウス@管理者
:2013/03/17(日) 14:15:05
2ch哲学板で意見交換を試みたけど、やっぱ全然話が通じない。
おまけに異常者がいる。
2chはやめた。
ツイッターやってみよう。
253
:
メビウス@管理者
:2013/03/17(日) 23:07:48
還元・創発・汎経験説のページは自分の意見が混合してたので書き直し。
自分の意見は下にまとめた。
254
:
メビウス@管理者
:2013/03/19(火) 22:35:30
現象判断のパラドックスを大幅に修正。
255
:
メビウス@管理者
:2013/03/20(水) 18:45:23
随伴現象説は思ったより広い意味で使われてる。
性質二元論とは還元についての立場があきらかに違うにも関わらず、
性質二元論の一種として解説してるケースもある。
しかも、必ずしも創発説を前提としているわけではない。
創発概念もエックルスは特別な定義をしてるし。
サールが創発を認めながら随伴現象説を否定するのは矛盾だと思うし。
なんでこんなに混乱してるのやら。
本格的に調べて書き直しだな。
256
:
メビウス@管理者
:2013/03/20(水) 22:00:16
とりあえず創発説や随伴現象説、それらと性質二元論の関係の
曖昧さを考慮して各ページを微修正した。
茂木健一郎は随伴現象説と性質二元論を同一視してるようだが、
両者は明らかに異なるはず。
スピノザやラッセルは「随伴して生じる」なんて表現はしないし。
257
:
メビウス@管理者
:2013/03/21(木) 20:48:32
心脳同一説と性質二元論の違いの説明方法を変えてみた。
今回の方がわかりやすいと思う。
258
:
メビウス@管理者
:2013/03/22(金) 22:19:06
ツイッターのアカウントを取得したので茂木氏に随伴現象説の件で質問しようかと
思ったけど、40万以上フォロワーいるしw
とても回答は期待できないのでマイナーな哲学者に質問しようかなとも思うけど、
心の哲学者でツイッターやってる人は少ないな。
とりあえず付随性のページは自分で調べられる範囲のもので書き直した。
259
:
メビウス@管理者
:2013/03/24(日) 21:36:22
付随性は随伴現象説だけの問題ではないのでメニューを修正。
書き直した上で心的因果の下位カテゴリーに移した。
太田雅子はツイッターやってるみたいだけど一般公開してないな。
入不二基義は身辺雑記ばかりで哲学的つぶやきはしてないし。
しようがないので放置してたmixiのアカウントから哲学関連コミュニティ
を探してみる。
260
:
メビウス@管理者
:2013/03/25(月) 23:33:04
英wikiでも創発説と随伴現象説は峻別されてるな。
Epiphenomenalismのページ見ると、
mental phenomena are caused by physical processesとあって、
emergenceやemergentは使われていない。
ティム・クレインの本では付随性と創発主義の微妙な違いが書かれてあった。
ややこしいことにチャーマーズとディヴィドソンでは付随性のニュアンスが違う。
付随性、随伴現象説、創発主義は、字義だけ見ると同一の心身関係論を説明する
言葉のように解釈できるけど、心の哲学ではきちんと区別されているということだ。
261
:
メビウス@管理者
:2013/03/26(火) 21:12:23
ジェグォン・キムを随伴現象説に分類してたけど、微妙なので外して、
チャーマーズの分類通りフランク・ジャクソンに変えた。
キムの主張は見方によっては随伴現象説なんだけど、中立一元論にも思える。
太田雅子の本を読めば詳しいことがわかると思うけど、正直そこまで細かい
議論には興味が無いし。
262
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/03/27(水) 20:43:32
トリップ付けてみる。
263
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/03/27(水) 20:50:25
心の哲学の限界が見えてきた。
所詮実在論だし。実在論とは二元論のことでもある。
物理主義は一元論の範疇にされてるけど、サールが看破したように還元、または消去
しようとする「心的」なるものを認めていることになる。
本当の一元論は現象主義または観念論だけ。
264
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/03/29(金) 21:12:29
大森荘蔵の弟子は沢山いるけど、現象主義を継承した人物がいないのは、
今の時代現象主義ではメシが食えないからだと思う。
心身問題での大森氏の探究には優れたものがあるのに、現代の心の哲学には
ほとんど生かされていないような。
日本人学者の著作には大森氏を引用してるケースは結構あるけど、英語圏の学者が
引用してるのは未だに見たことが無い。
英語語圏の学者は傲慢だな……というより、可哀想だなと思う。
学者にとって一番不幸なのは価値ある情報を知らないことだろう。
265
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/03/31(日) 21:33:32
橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』を読了。
私とほぼ同じ考え。つまり橋元氏はマクタガートのいう「C系列」論者。
そしてC系列は時間ではないから時間は実在しないという。
しかし現代の物理学者は時間は実在しないという立場の者が多いと書かれてるんだけど、
例として挙げられてるのはジョン・ホイラーだけというのは不満。
ちなみに内井惣七の本ではジュリアン・ハーバーが非実在論者として挙げられていた。
また中島義道の本には、ほとんどの物理学者は出来事の実在性を取り、時間の実在性を
捨てていると書かれてたんだけど、具体的な科学者名はなかった。
たぶん中島氏は相対論でいう「事象」を「出来事」と解釈したのだと思う。
266
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/03/31(日) 21:45:07
アインシュタインは現在過去未来の区別が幻想だって言ってたし。
もっとも、その相対論解釈だけではC系列に直結しないと思うけど。
橋元氏は、「この宇宙はただ存在するだけの相対論的C系列で、ミンコフスキー空間という
時空に描かれた一枚の絵」という(p.132)。
この解釈も、思考のプロセスは全然違うけど私と同じw
おまけに、「われわれの宇宙が相対論的C系列であるとすれば、あらゆる事象は在るがままに在る」(p.155)
という部分を読んだ時は、橋元氏は私のサイトを見てるんじゃないかと思ったw
でも出版が2006年だから私のサイトは関係なし。
要するに、時間の実在性を否定した上で、無主体論を徹底すると必然的にこのような解釈に到達するという
ことなのだろうと思う。
橋元氏は物理学的な思考プロセス、私は哲学的な思考プロセスだけど、結論はほぼ全く同じ。
また他の時間論の本ではないがしろにされがちな空間についても実在性を積極的に否定してるので、
よくここまで一致するものだと感心してしまったw
ちょっと残念なのは、橋元氏に哲学的な知識が不足してることだな。
267
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/01(月) 23:34:59
クオリアのページに意識とクオリアの違いを加筆。
サールや茂木氏の、意識は常に質的であるという考えは尤もだと思う。
268
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/04(木) 22:48:29
心の哲学者で時間・空間について論じてる人物はほとんどいないのは残念。
チャーマーズが情報の二相理論で僅かに時空の問題に言及している程度だな。
心的なものは非空間的、物的なものは空間的というデカルトの二文法を否定するには、
時空の哲学は不可欠だと思う。
結局、現代の心の哲学者はデカルトの手の平で踊っているだけと思える。
二元論を前提にする限り心身問題に合理的な解答を与えることは不可能だろう。
269
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/06(土) 23:47:47
植村恒一郎の『時間の本性』は変化の問題を考察してる点で、
他の時間論本より優れていると思う。基本はベルクソンなんだけど。
植村氏は「出来事」が最も根源的な概念と考え、出来事とは変化だから、
出来事自体は変化しないという立場。
私と近い考えなんだけど、植村氏は「私」という主体を天下り的に想定してる点が不満。
これで無主体論を前提にすれば私や橋元淳一郎みたいなC系列論者になると思う。
270
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/06(土) 23:55:35
植村氏の場合、「私」という主体を想定しているために「人生丸ごと現在」
という中途半端な主張になっている。
橋元氏の場合、「あらゆる事象は在るがままに在る」と、個人の人生の
現在性を超えて、より完成度の高い形而上学になっている。
271
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/07(日) 21:27:13
人格の同一性のページを微修正。
ベルクソンのページはWikipediaの方が遥かに充実してるのでメニューから消した。
272
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/07(日) 21:30:54
植村氏の時間論にはいくつか重要な問題がある。
ひとつは人格の同一性問題がないがしろにされていること。
人生そのものを「持続」というのはパーフィットが批判した非還元主義の立場。
ならばパーフィットのスペクトラムの思考実験に合理的に答えなければならない。
273
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/07(日) 21:38:13
もうひとつは「絶対無」と、ベルクソンが洞察した存在の否定としての無、
いわば「擬似無」とを混同していること。
変化や消滅の概念を含む「持続」や「出来事」が根本概念だというのは、
認識論的に正しくても、存在論的に重要な問題が派生する。
存在論的には、出来事は不可能なものを含むことはできないからだ。
つまり出来事に含まれている消滅とは擬似無でなければならない。
絶対無が含まれているなら持続した出来事にはならない。
274
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/07(日) 21:47:25
しかし出来事が無矛盾な全一的な存在者だとしたら、それは絶対無から生じた
ことになる。絶対無から生じていないというなら、擬似無から生じたことに
なり、人生が始まる前から出来事は持続していることになる。
また人生の終わりに絶対無になるというのも、論理的不可能性がある。
橋元氏の「あらゆる事象は在るがままに在る」という相対論解釈による
形而上学は、個人の生を超えており、植村氏の矛盾を解消している。
275
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/07(日) 21:51:46
植村氏が現象主義を前提にするならともかく、バークリーを批判して
実在論を肯定した上で、非還元主義的な「出来事」を提唱するのは無理がある。
276
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/09(火) 23:09:12
ようやく「現象的意識の非論理性」のページが完成。とりあえずだけど。
>>265-266
で紹介した橋元淳一郎の見解はどれぐらい形而上学的含意が
あるのか微妙なのだけど、私の見解と極めて近いので再考した上で
載せるかも。
277
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/11(木) 21:05:02
橋元氏の残念なのは自我論がないこと。
時間の実在を否定するなら人格の同一性についての考察が不可欠だ。
逆に時間の実在を肯定する立場でも人格の同一性は問題になるので、
橋元氏も植村氏も同様の瑕疵がある。
278
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/15(月) 21:29:19
マリーの部屋のページを大幅に修正。
フランク・ジャクソンは物理主義的な表象主義に転向したので、表象主義の
ページを作ろうと思う。
あと大森荘蔵の「重ね描き」も独自の心身関係論として、独立したページに
しようと思う。
279
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/19(金) 21:22:12
ようやく表象主義のページが完成。
しかし表象主義の細部は疑問だらけ。機能主義の問題点を少しも克服してないように思える。
といっても資料が少なかったので正確に理解してるか疑問がある。
手持ちの本では信原氏の入門書で僅かに言及されてた程度。
後はネット上で拾える論文を寄せ集めて、それを要約したというレベル。
心の哲学で表象主義が注目され始めたのはジャクソンの転向から考えると
2000年前後ぐらいからだから、まだ研究成果も少ないということかも。
280
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/21(日) 21:30:50
「言語的批判」のページは消すかどうか難しいところ。
大森氏の「重ね描き」を独立したページにするなら、必要なくなるような。
重ね描きは明らかにウィトゲンシュタインの洞察、つまり言語的批判を出発点にしてる。
281
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/21(日) 21:40:39
ウィトゲンシュタインの<独我論と実在論の一致>で心身問題は終わったという見方はできるけど。
しかし事情が変わったのは20世紀後半の脳科学の劇的な進捗で、このため心の哲学は自然主義、
科学的実在論を前提にせざるを得なくなった。
ウィトゲンシュタインや大森氏の洗礼を受けているはずの野矢茂樹があえて実在論を
選択したのもそいう背景があったからだろうし。大森氏が晩年脳科学に拘った理由でもある。
それでも大森氏は基礎付け主義を放棄せず「重ね描き」で現象主義を貫徹したのだから、
凡百の哲学者とは器が違うな。
282
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/24(水) 20:30:16
心の哲学全般のページを加筆修正。
あと大森荘蔵のページを修正すれば、このまとめサイトも一応完成だな。
細かい部分の修正は定期的にやる必要があるだろうけど。
サイト完成したらのんびり好きな本読んでみたい。
2chの軍事板にも戻ってみるか、と思って久しぶりに見たら良コテは
ほとんどいなくなっているんだな。残念。
283
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/27(土) 23:28:46
大森荘蔵のページを加筆修正。
「無主体論と独今論」というテーマで大森氏がなぜ最終的に独今論に到達したかを
私の独今論解釈で書き加えた。かなり恣意的な解釈かもしれないと思うけど。
以前書いたヒュームの問題は大森氏の無主体論の問題と同じだと思うので、
ヒュームのページも修正する必要がありそうな。
284
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/04/27(土) 23:31:15
あと「重ね描き」を主要な説のカテゴリーに加えた。
独立したページを作るつもりだったけど、重ね描きは大森哲学全体から不可分なので、
大森氏のページ内にリンクした。
私としては、重ね描きで心身問題は「解消」していると思っている。
「解決」ではないのがポイントである。
285
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/02(木) 00:19:16
「無主体論と独今論」はまだ書き直しが必要っぽい。
大森氏はアウグスティヌスらの独今論に接近する過程で、なぜヒュームの
抱えた人格の同一性問題に言及しなかったかと疑問に思う。
あと「形而上学的無主体論」のページは自分でも満足してないのでとりあえず消した。
書き直しは何年後になるやら。
286
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/02(木) 00:23:07
「対戦型哲学史」の人のウィトゲンシュタイン解釈は優れたものだと思うが。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card15987.html
しかしウィトゲンシュタインがもしラッセル並に長生きしてたなら、
やはり大森氏のように知覚因果説を検証せざるを得なかったかもしれない。
287
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/03(金) 21:10:04
各ページを微修正。
ベルクソンは「無」を認めなかったから「純粋持続」の終焉の解釈で苦慮したような。
霊魂研究とかw
いっそ独今論の立場を選択すればよかったと思うけど。
純粋持続を評価していた大森氏は最終的に独今論を選択したし。
ベルクソンはマクタガートと同時代の人なんだけど、どれだけマクタガート
を知ってたのだろう。
288
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/04(土) 21:35:20
ベルクソンは主体である「私」を放棄できなかったのだと思う。
その点、永井均と共通してるような。
永井氏も神や魂を信じてるみたいだし。
「実在」や「私」に拘る限り救いようの無い不合理を抱え込んでしまう。
だから私は無主体論と独今論を選択した。
大森氏もおそらく私と類似の理由で、思考プロセスは違えど同じ結論に至ったのだと思う。
289
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/05(日) 23:23:00
ヒュームのページを修正。大森氏のページで書いた自分の見解と整合性を持たせた。
無主体論は、よく指摘されるように理解不能な考え方だが、それでいいような気がする。
「汝自身を知れ(know thyself)」という格言は紀元前からあったそうだけど、
結局、カントがいうように人間は思考の様式が制限されているので、
「私自身」の本当のあり方は理解できないのだろうと思う。
290
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/07(火) 23:12:23
中国語の部屋のページを加筆修正。
この思考実験で心の哲学における機能主義は終わってると思う。
認知科学には機能主義の役割はあるんだろうけど。
291
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/10(金) 23:31:17
大森荘蔵のページを微修正。いくつか間違いがあった。
まだ加筆が必要な気が。
知覚因果説を否定するのはよいとして、野矢茂樹も指摘してるように、
「因果関係」の問題が解消したわけではないような。
この点には私なりの見解があるのだけど。
292
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/12(日) 21:21:55
クオリアのページに自分の見解を加筆。
言語的批判のページはとりあえず消した。
この問題をやろうとしたら後期ウィトゲンシュタインやクワインを本格的に勉強する
必要があるだろうし、そんな時間もない。
まあ、クリプキによって分析哲学における形而上学は復活したというのが一般的な
理解だから、言語的批判はとりあえずスルーしてもいいかも。
294
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/21(火) 21:18:12
マイケル・ダメットのマクタガート解釈は多くの論者が言及してるので『真理という謎』を購入。
マクタガートに関する論文は短い内容だったが、久しぶりに知的興奮を味わえた。
ダメットはマクタガートの時間論から、
A:時間の内に存在するものは、状況依存的表現なしに(世界の)描写はできない
B:実在には、観察者に依存しない完全な描写が原理的にありうる
という二つを読み取り、両者が矛盾するとした。
時間についての、ミンコフスキー空間のような客観的描写には動的な変化が描かれないから。
これは「描かれた運動は、運動そのものではない」というベルクソンの洞察と同じ。
295
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/21(火) 21:20:57
両者が矛盾するためマクタガートは時間の非実在を選択したというのがダメットの解釈。
しかしダメットは実在を認めて、認識の可能性、つまり科学的実在論を拒否する。
これがダメットの「反実在論」。
296
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/23(木) 20:50:42
ダメットの解釈は橋元淳一郎の解釈と部分的な共通性がある。
橋元氏はC系列論者でダメットとは異なるが、それでも「変化している現在」、
つまりA系列は認めざるを得ず、それを「人間の意志」で創られるとしている。
その辺の説明は実に不合理で、まあ橋元氏は哲学者ではないので仕方ないかなと。
297
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/05/27(月) 23:04:02
三浦俊彦『ラッセルのパラドックス』は、ラッセルの思想の変遷がよくわかる良書だった。
前述のダメットや橋元淳一郎の本といい、最近購入した本は「当たり」が多いw
ただ、ラッセルが後期ウィトゲンシュタインに反発して、あくまで実在の探究に拘ったのは無神論者
だったからだと思うが、その点への言及はなかった。
ウィトゲンシュタインの信仰とラッセルの無神論は、両者の哲学の重要な「根」だと思うんだが。
298
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/01(土) 20:35:06
三浦氏の本を参考にラッセルのページを書き直したいと思うんだが、
晩年のラッセルの思想は複雑難解すぎる。体系的にまとめようとしたら
タイプ理論から説明する必要がありそうな。
つまりラッセルは「中立一元論」とはいっても、それは巨大な哲学体系から
必然的に導かれた立場だということで。
299
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/02(日) 19:24:03
三浦氏はチャーマーズと共通点が多いな。
クリプキに心酔してる点。ラッセルから大きな影響を受けて点。
チャーマーズは数理エリートだったし、三浦氏は論理学者。
論理を重視する人としての共通性があるということかな。
300
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/08(土) 13:33:12
ラッセルのページを加筆修正。
ラッセルの哲学はホワイトヘッドから大きな影響を受けてるというので、
中村昇『ホワイトヘッドの哲学』を購入。
とりあえずホワイトヘッド哲学のアウトラインだけ理解。
ベルクソンとそっくりだなと思ったら、やはりそういう指摘はあるんだな。
301
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/08(土) 20:46:54
三浦俊彦は「クリプキの論説のわかりやすさは群を抜いている」と絶賛するわけだけど。
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/kripke-s.htm
『名指しと必然性』は私も読んだが、同一性の成立についての論説は説得力に欠けていると思うが。
302
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/09(日) 15:35:14
ラッセルの無主体論は優れた考察だと思ったが、
しかし肉体を主体として想定する限り知覚因果説の難点を抱え込むはず。
これはシュリック、ストローソンにも共通する。
知覚因果説のページを作るべきかもしれない。
303
:
メビウス
◆4lggoO1oV6
:2013/06/09(日) 15:48:27
ラッセルが終わったのでウィトゲンシュタインのページも書き直したい。
ただしウィトの哲学全体を把握するのは無理なので、独我論に絞ってみる。
『論考』の独我論解釈は入不二基義の解釈でいいと思うんだけど、
『探究』はどうかな。入不二氏は『探究』にまで言及してないし。
しばらく前からウィトの著作を読み直してるんだけど、以前に比べると
だいぶ理解できるようになった気がする。
やはり永井均が書いてたみたいに、ウィトの哲学全体は(特殊な)独我論を
前提に成り立っているような心証がある。
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