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創価学会の疑問・質問
42
:
運ちゃん
:2014/08/12(火) 21:22:22 ID:ccnwom3Y
ぶっちょさん
始めまして運ちゃんです。
「かすれ」の修正の件ですが、それほど大きな問題なのでしょうか?
歴代の法主で日目師の書写本尊に至っては、御本尊七箇相承の内容とは
異なる御本尊を書写していました。これはいまも残っています。
この日目師の本尊は、日興師存命中に書写されていますので、そこから
考えられるのは、御本尊七箇相承というのは日目師以降に成立したという
事です。
また日蓮直筆本尊でも、後世に加筆されたものも現存しています。
これは「沙門天目受与之」といわれる曼荼羅もそのようです。
加筆が良い・悪いではなく、日蓮門下の中でも行われていた事でしょう。
確かに過去、戸田会長が
「戸田先生は、御本尊を紙幣にたとえられた説明していますが」
はありますが、これは妥当な表現では無かったと僕は考えています。
紙幣の場合には原版があり、それを模写しようと心みますが、結果として
その模写自体が犯罪行為であり、国法を犯した事になります。
しかし御本尊の場合には、歴代の大石寺貫首は大本尊を「模写」をしてきた訳です。
違いますか?
だから御本尊を模写という事でのみ、オカシイという指摘は的外れでは
ないでしょうか。
ただここで問題は、歴代の貫首が模写してきた御本尊ですが、大石寺の
大本尊は「略式本尊」です。
日蓮の書写した御本尊、特に晩年には「広式本尊」が多い中で、
何故、大本尊は「略式」なのでしょうか?
【注釈】
略式本尊:十界の勧請が略された内容
広式本尊:十界の勧請が詳細に書かれた内容
つまり御本尊ということで言うならば、単に「カスレを修正した」とか「脇書きを削除した」
という以前に、そもそもどの様な目的で、どの様な御本尊を日蓮は書写し
残してきたのか、そしてその御本尊とは如何なるものであったのか。
そういう観点で、まずは考えるべきだと思います。
ただし学会の御本尊授与(下附)について言えば、この姿勢については
改めなければならないと思っています。
何故ならば、あまりに安易に授与しているので、御不敬があまりにも
多すぎましたよね。
この御本尊の問題は、かなり根が深いので、いずれはHPにアップしたいと
考えていますが、僕自身、あまり時間がないので時間を頂きたいと考えています。
以上です。
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