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創価学会の疑問・質問

121運ちゃん:2014/09/22(月) 21:09:57 ID:ccnwom3Y
ホワイトさんの言う通り、四条金吾は日興上人の元には駆けつけていませんね。
これは恐らく、四条金吾は日蓮の弟子であり、金吾から見たら日興上人も日蓮の高弟の
一人であっても、その後継者という事で見ては居なかったのでしょう。

日蓮が亡くなった時、六老僧の立ち居地は変わりました。
それは「教えを受ける弟子」ではなく、法を広める「弘教者」という立場へです。

よく大石寺では「二箇相承(身延相承書・池上相承書)」を持ち出して、日興上人へ
日蓮から血脈相承があったと言いますが、現代ではこの二箇相承書は後世の偽書
であることが判明しています。

ここから見える事は「師匠が後継の弟子を指名」するという事ではなく、「弟子が後継
である事を証明する」という事ではないかと思うのです。

日興上人は六老僧の中では中堅の位置でした。
しかし日蓮の教えに対する峻厳さ、理解度では一番であったのは事実でしょう。
現に六老僧の中ではダントツに残した書物が多く、それがあるから日蓮の教え
というのが、現代まで残っているという現実があります。

恐らく四条金吾は四条金吾として、自分自身が決めた後継の道を進んだのでは
ないでしょうか。
日興上人も日興上人としての立場で、後継の道を歩んだのだと僕は理解しています。


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