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日本語・方言と日本の歴史をふまえて総合的に語る

1名無しさん:2011/03/07(月) 21:26:27
日本語・方言を日本の歴史をふまえて総合的に語りましょう。
文法・音韻

21:2011/03/07(月) 21:28:03
アクセント・分布など何でもOKです。

3名無しさん:2011/03/07(月) 21:36:15
「日本の歴史を踏まえて」とは何のこと?

41:2011/03/07(月) 21:39:34
スレたてていろいろ考えたんだが、
「歴史的観点から」としたほうがよかったかもしれない。

5名無しさん:2011/03/07(月) 22:42:26
日本語の歴史・日本語史総合スレッド
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/10958/1283966890/l50

こっちのスレとの違いがいまいちよく分からないんですが
こっちは日本の歴史(言語外の歴史)が日本語や方言の発展に与えた歴史を
考えるということ?

6名無しさん:2011/03/07(月) 22:46:42
中央語史だけでなく方言史も含めて、ということじゃない?

71:2011/03/07(月) 22:53:58
>>6
そんな感じです。
通時的に、どの地域の方言がどんな風であったかということです。

8名無しさん:2011/03/07(月) 23:07:08
個人的な妄想を書き込むと、

縄文時代の日本列島には系統の違う複数言語が乱立。
その中で九州北部の言語が現代日本語につながる。

弥生時代に九州北部の言語が稲作とともに東へ拡散。
奈良時代までに東北南部から九州南部まで浸透。
その間に東国方言(東歌)、近畿方言、九州方言(琉球方言の祖)の対立が生まれる。

九州方言はその後、琉球列島に拡散。
九州にも残ったが、上代以降に中央語からの影響を強く受け、少数の語彙を残して同化される。
九州由来の琉球方言は3母音化や動詞の「連用形+ヲリ」など本土方言からかい離していく。

東国でも中央語に同化される。現代東北方言は、中央語に同化された(用言の活用がほとんど同じ)後の
東国方言が広がり、その後にズーズー化したもの。

9名無しさん:2011/03/10(木) 23:27:56
東北北部が日本語圏になったのは平安時代以降でいいのか?

10名無しさん:2011/05/11(水) 04:42:22
よく「タラレバ」とか言うけど、これ考えてみたら「たら」が関西で「れば」が関東の言葉やね。

お互い、日常的には関西は「たら」関東は「れば」の方が使う機会が多く、使ってしっくりくると思う。

関東でも「だったら」のように「たら」系を使うこともあると思うけど、関西で「れば」ってあんま使わないな。

その関東での「たら」にしても、
関西では聞かない「たらば」と言う「ば」を付けた形がある。
言ってることが聞き取れないと定評のある稲川順二も、よく「(そ)したらば、、」と(超早口で)言っている。

これは上方から関東に「たら」が入って、その後に、既存の仮定形「れば」の「ば」を付け足したと言うことなのかな。

11名無しさん:2011/05/11(水) 21:40:01
西関東方言では、タラとレバは別々の用法で共存しているけど、
近畿方言では仮定の用法はほぼ全部タラになっていて、レバは文章語的・共通語的表現になっている。

文語では、例えば「書く」の場合、仮定条件は未然形でカカバ、確定条件は已然形でカケバだった。
だが現代語では、仮定条件がカケバになり、確定条件はカイタラ、カクナラになった。

カイタラ、カクナラがア段で終わっているのは、かつて仮定条件が未然形に付いた名残で、
カイタラバ、カクナラバが略されたもの。このうちカクナラバのほうは文章語として残っているが
カイタラバのほうは文章語ではない。一部の方言には残っているのかもしれないが。

カイタラバは、カイテ + アラバで、「書いて有らば」だし、カクナラバは、カクニ + アラバ で「書くに有らば」ということ。

「ば」は後からの付け足しではなく、比較的最近に脱落したものだし、近畿でナラバ系が廃れたのも新しい現象だろう。
古典語(当然ながら畿内語)にはカカバ、アラバなどの形が普通に出てくるし。

12名無しさん:2011/05/12(木) 08:46:14
確定条件と仮定条件の違いがよく分からない。

13名無しさん:2011/05/13(金) 12:27:24
http://www6.ninjal.ac.jp/siryokan_data/drep_siryokan/gaj_map/GAJ_126_m.pdf
http://www6.ninjal.ac.jp/siryokan_data/drep_siryokan/gaj_map/GAJ_126_e.pdf

↑をみればわかるが、「たら」が使われるのは近畿と四国で、あとは「れば」だ。中国九州も然り。
別に「れば」が関東に限ったの言葉だというわけではない。この件については 近畿四国VSそれ以外 と見るべき。

14名無しさん:2011/05/13(金) 20:46:40
京阪式が「たら」なんだね!

15名無しさん:2011/05/14(土) 18:45:06
めちゃくちゃ典型的な周圏分布だな。

中央に「起きたら」、その周りに「起きりゃー」、その外側に「起きれば」。

16名無しさん:2011/05/15(日) 19:51:07
関東も「りゃ」にするよな!?

17名無しさん:2011/05/16(月) 01:47:25
するよ。

18名無しさん:2011/05/16(月) 18:49:23
「中央」って近畿のことだから。

19名無しさん:2011/06/07(火) 19:32:27
日本語アクセントの系譜
http://photozou.jp/photo/photo_only/1738942/83549428?size=1024

20名無しさん:2011/06/07(火) 20:20:23
京阪が「てる」なのは近代以降に江戸から取り入れたんですか?

21名無しさん:2011/06/07(火) 20:20:49
もういい加減、縄文語とかいうトンデモを信じるのはやめたほうがいいよ。
そんなに「縄文語」とやらが広く広がっていたなら地名に明確にその痕跡があるはずだが、
アイヌ語地名以外はみな日本語地名だ。(沖縄の地名はちょっと日本語族らしくなく思えるものが多い気がするが)

「アクセント・音韻の伝播」というが、アクセントや音韻は語彙のようには伝播しない。
アクセントや音韻は言語形成期でほとんど決まってしまい、その後の変化は容易じゃない。
世代が変わっていくときに起こる内的変化がほとんどだ。
ある地点から音韻変化やアクセント変化が広がることもあるが、それも内的変化の促進という形だ。

基層語から上層語への言語の取り替えが起こるときは、音韻やアクセントも一緒に変化するものだ。
言語・方言の取り替えが起こった例を見ても、一世や二世では元の言語・方言の音韻やアクセントが残るが、
三世で一気に音韻やアクセントが切り替わる。四世以降は完全に新しい音韻やアクセントになる。
三世あたりで新しいほうの言語の影響がなくなった場合はともかく、普通は元の音韻やアクセントの痕跡は残らない。

日本語の語彙や語法にこれほど他の言語の影響が見当たらない単一系統的なものなのに、
音韻やアクセントにそんなに大々的に元の言語の影響が残っていると考えるのは現実的じゃない。
縄文時代の言語は完全に消えて塗りつぶされ、その後に日本祖語が変化したと考えるべきだ。

「子音が強い」とか「母音が弱い」とかいう発音傾向を元の言語から引き継いだ可能性ぐらいなら有りうるが、
それを「音韻の系統は縄文語」とかいうのはおかしい。そういう場合も、あくまで系統は弥生語だ。
アクセントも、一旦は日本祖語のアクセントを受け入れたが、その後に崩れて無アクセントになった。

22名無しさん:2011/06/07(火) 21:24:51
>>21
>そんなに「縄文語」とやらが広く広がっていたなら地名に明確にその痕跡があるはずだが、
>アイヌ語地名以外はみな日本語地名だ。(沖縄の地名はちょっと日本語族らしくなく思えるものが多い気がするが)
縄文の代表出雲が大和に負けた際、大和が縄文的な地名も消してしまったのだろう。記録も残らぬように。意図的に。

>「アクセント・音韻の伝播」というが、アクセントや音韻は語彙のようには伝播しない。
そうとも限らないんですけどね。

>日本語の語彙や語法にこれほど他の言語の影響が見当たらない単一系統的なものなのに、
そうですか?日本語は混成言語という説もあるくらい。

>音韻やアクセントにそんなに大々的に元の言語の影響が残っていると考えるのは現実的じゃない。
>縄文時代の言語は完全に消えて塗りつぶされ、その後に日本祖語が変化したと考えるべきだ。
現実的でなくとも有り得る。そんな単細胞的考え方しかできないのか。

>「子音が強い」とか「母音が弱い」とかいう発音傾向を元の言語から引き継いだ可能性ぐらいなら有りうるが、
>それを「音韻の系統は縄文語」とかいうのはおかしい。そういう場合も、あくまで系統は弥生語だ。
そもそも子音が強い、弱いなんてどうでもいい。外輪的になれば母音は弱くなる。それよりも大切なのは母音体系。

>アクセントも、一旦は日本祖語のアクセントを受け入れたが、その後に崩れて無アクセントになった。
何の引き金もなくアクセントが無型化するものですかな?
無アクセント化が起こるような決定的要因があった、あるいは固有起源かのどちらかだ。

全体的に先入観にどっぷりつかった非常に教科書的な表面しか見ていない返答だ。
「縄文語」という言葉に異常なアレルギーを示すから、議論にすらならない。

23名無しさん:2011/06/07(火) 21:38:28
>>22
そっちのほうがよっぽど「縄文語なるものが存在した」ということを前提とした決めつけを行ってるように見えるが。

様々な方言や言語の変化の例も全て無視して、
「証拠がなくても、現実的でなくても、根拠がなくても、とにかく縄文語は存在したんだ」
と言われても困る。

縄文語なるものが存在して、今の方言の音韻やアクセントがその基層の影響だと、
決定的でなくてもその可能性がそれなりにあると思える根拠や論拠を示してもらわないと。

今の程度の議論じゃ、「実は縄文語とは英語だったのだ!」とか言われても否定できないレベルだよ。

24名無しさん:2011/06/07(火) 21:46:45
一応言っとくと、「子音優位方言」「母音優位方言」と呼ばれる発音傾向があるのは事実で、
それが日本語以前の基層言語から受け継いだ発音傾向の可能性があるという程度の話なら
否定はできないしそれなりに可能性もあると思う。

ただ、今の方言の様々な発音やアクセントの変化を安易に基層語と結びつけるのは慎重になるべきだ。

日本の歴史を見ても、東北北部を除くほとんどの地域は奈良時代には既にすっかり日本語圏になっているし、
奈良時代には防人だの税の納入だので、人の移動も非常に激しかった。
その後も中世に至るまで日本の諸方言は常に中央語の影響を受け続けたし、人の移動も激しかった。

1500年間、言語が分岐してから全く交流が無ければ、意思疎通がほぼ不可能になるほどの変化が起きるが、
本土方言は1500年間で期待されるよりかなり方言差が小さい。これは互いにかなり交流があった証拠。

25名無しさん:2011/06/07(火) 21:46:57
>>23
北陸が弱い中舌母音であるのは不思議ではないか?
あんなに関西に近く、アクセントも甲種の亜種なのに、どうして発音は東北的なのか。
そもそも裏日本的発音が生じた原因は何なのか言語学は説明できても(屁理屈だが)、
その分布の異様さは説明できまい。

wikipedia 「越の国−歴史」から引用。

古くから交易や交流などはあったもののヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域であり、
紀元前の孝元天皇の第1皇子、四道将軍の大彦命に平定される前の「越」は阿彦王国とも言われ
豪族阿彦に支配されていたとされている。

日本書紀によれば欽明天皇5年(544年)12月、佐渡島に渡来する粛慎人のことが越から朝廷に報告され、
その後573年に高麗使人が越の海岸に漂着、船が難破し多数の溺死をみたこと、翌年にも彼らの漂着が報告され、
589年になると朝廷は阿倍臣を北陸道に派遣して越など諸国の境界を調べさせている。
また645年12月には『海畔の浮木が東へ移る』と報告されており、
これは海浜に住み着く蝦夷が朝廷の勢力に破れ北東方面に逃れたこと、
翌646年の『越国の鼠が昼夜相連なり,東方に移動』は内陸部の蝦夷が昼夜を問わず連なり東に逃れたこととされる。

一言で言うと、大和の権力が及ばなかった地域とズーズー弁が
あまりにも一致しているということ。

26名無しさん:2011/06/07(火) 22:01:39
>>22
>縄文の代表出雲が大和に負けた際、大和が縄文的な地名も消してしまったのだろう。記録も残らぬように。意図的に。

地名はそんなに意図的に消せるものじゃない。主だったところの大きな地名は消せても、
川の名前、山の名前、小さな集落の名前などに大抵痕跡が残る。山間部や辺境では特にそうだ。

そういうものがほとんどの地域で見つからないというのは、言語の入れ替えがかなり古く、
しかも新しい言語を話す人口が相当圧倒的だったからだろう。
古い言語集団が、集団としてはそのまま、新しい言語を受け入れたのなら、元の地名は捨てられずに残るのが自然だ。
一方、古い言語を話す集団が、人口的にも新しい言語集団に圧倒されていたなら、古い地名は残らないだろう。

例えば近代、北海道のアイヌ語話者は日本語話者に人口的にも文化的にも言語的にも圧倒された。
日本語話者はアイヌ語話者にアイヌ語を捨てるよう強要したし、アイヌ語地名も積極的に日本語風にしたりしたが、
それでもアイヌ語地名ははっきりと多数残っている。ところが、北海道の日本語にはアイヌ語の発音傾向などは全く受け継がれていない。

北海道方言の発音やアクセントは、移住者が多かった東北北部のものにほぼ統一されている(戦後の共通語化を除く)。
北陸や四国からもかなりの移住者が来たが、そういうところもほとんどは四世までに東北北部的な北海道共通音韻・アクセントになった。

別の例を挙げると、イギリスなどヨーロッパの多くでは、先にケルト語話者がいたところにゲルマン語やロマンス語が広がった。
ロンドン、パリ、ベルン、ライン川、テムズ川、アペニン山脈などの地名はケルト語だと言われている。
しかし、これらの地域の言語の発音に、ケルト語の地名は微塵も残っていない。

27名無しさん:2011/06/07(火) 22:13:26
>>25
あなたの議論は、「東北のズーズー弁的発音は縄文語の影響である」ということが基礎になっているようだが、
それがまずおかしいんだよ。

だって、東北の基層語は明らかに(しかも地域によってはかなり最近まで)アイヌ語で、
そのアイヌ語は全然中舌的じゃないんだから。

中舌母音の本場たる東北では、中舌母音の原因として基層語を持ち出すことができない。
この時点で、あなたの議論の前提は崩壊する。
「北陸の発音がどうして東北的なのか、それは縄文語の影響だ」とのは、
東北では「縄文語」の影響で中舌母音があるということを前提にしているが、それが間違いだ。

アイヌ語が中舌母音を持ち、前舌や後舌のはっきりしたイ、ウを持たないような言語だったら
まだあなたの説も受け入れられるかもしれないが、事実はそうではない。

縄文語→アイヌ語→日本語という言語の変化を考えても、それで日本語にまで
縄文語の発音傾向が受け継がれるというのは無理がある。
アイヌ語→縄文語→日本語というのは、そんな記録もなければ地名などの痕跡もなく
あまりにも信じがたい。

無理に「基層語」を持ちださなくても、中舌母音は「調音の緩み」で説明できる。
分布は、「辺境で言語的な規範意識が緩かった」「楽な発音に向かう傾向があった」とでも言えば説明できる。

28名無しさん:2011/06/07(火) 22:17:48
>>26
実は日本語的と思われる地名も多くが当て字だったりする。
例えば山陰の米子、宍道なんて意味不明だし、
阿波、伊予、伊勢、相模、伯耆、若狭なんかの旧国名はさかのぼっても
起源ははっきりわからないことが多い。
地名を消してしまうというのは、
無理やり当て字にして日本語(弥生語)っぽく見せてしまうということを含む。
とにかく地名については起源がわからないものが多すぎるから、
議論してもあまり当てにならない。
「縄文語」の語彙や文法については情報がほぼ皆無だから、
それと地名が結びつくかどうか検討のしようもない。

それと「縄文語」と「アイヌ語」を同格付けで議論すべきではない。
縄文人は日本に出雲を中心とした「国」を築いていた。
大和に負けても彼らは東北の地でしばらくは権力を持っただろう。
全く政治的枠組みを持たない純粋な原住民アイヌとは位置づけが全く違う。

>>27
>だって、東北の基層語は明らかに(しかも地域によってはかなり最近まで)アイヌ語で、
そのアイヌ語は全然中舌的じゃないんだから。
アイヌ語の発音的特徴はズーズー弁とは何ら関係ない。今まで書いてきた通りだ。

>分布は、「辺境で言語的な規範意識が緩かった」「楽な発音に向かう傾向があった」とでも言えば説明できる。
そこだけなぜか議論がなおざりになっていませんか?そもそも北陸は辺境ではないですし。京都にも近い。

29名無しさん:2011/06/07(火) 22:50:22
それとズーズー弁がどうして関西方言から直接生じたとしか考えられないのか理解に苦しむ。
口の緩みで生じたのはわかるが、ではどうして口が緩んだのか?
そこまで考えないと適切な結論には至らない。

30名無しさん:2011/06/07(火) 23:22:46
音韻変化にいちいち理由があるのか?
調音の緩みなんてどんな言語でもいくらでも起きてることだし、
そのたびにいちいち基層言語とか無理やり考えるのか?
そっちのほうが理解に苦しむ。言語の内的変化をみんな否定するのか?

発音が楽な方向に流れることなんて別に自然なことじゃないか。
京都だって唇を使う発音が弱まる変化は一貫して続いてるわけだけど、
それも何かの基層言語を考えるのか?

31名無しさん:2011/06/07(火) 23:39:35
理由があるものもあれば、ないものもある。
内部変化をみんな否定するわけでもない。
例えば連母音融合なんかは理由がない。(明らかな周圏分布)
大体、近畿を中心に周圏分布している特徴に基層語の影響はほとんどない。
しかし中舌母音は内部変化にしては分布が明らかに変。
それから中舌母音は千葉を含む東関東にも分布しているから、
決して「裏日本」要素ではないことがわかる。

32名無しさん:2011/06/08(水) 00:00:22
それから、口の緩み(省エネ化)の典型はアクセント変化であろうが、
甲種アクセント(エネルギー大)の亜種である北陸になぜ中舌母音(エネルギー小)
が分布するのか疑問に思わないかね?
仮に、アクセントも音韻も単なる自然変化なら、両者のエネルギー程度は近畿を中心に
同心円をかくはず。
まして、北陸は京都の影響が非常に強い地域だ。(石川県、福井県の親密県トップは京都)
もし中舌母音が単なる内部変化と言うなら、それらの地域でなぜ、中央語の規範意識が緩かったか疑問だ。
もちろんアクセントは甲種の亜種だから、京都からの影響も京都志向もかなり強かったのだろう。
ただし発音だけは真似しようにも真似しきれていなかった。
東北方言的な発音が北陸で見られるのは、北陸はもともと蝦夷(縄文人≠アイヌ)の領域であり、
元来東北方言的なところに関西の影響を非常に強く受けた形態だからということになる。
アクセントの型も当然、母音が広いもの(a,e,o)か狭いもの(i,u)かによる制限を受けることになる。

3332:2011/06/08(水) 00:05:38
訂正
アクセント変化が口の緩みと言うのは変だな。
単なる省エネ化。

それから下部は蝦夷(=縄文人≠アイヌ)

34名無しさん:2011/06/08(水) 00:24:28
>>32
そんな綺麗に同心円分布しなくても不思議ではない。
特に音韻やアクセントは、語彙のように「地伝いに伝播する」というパターンではなく、
各地で独立変化する傾向が強いから、同心円からずれたり飛び地ができたりしてもおかしくない。

同じ日本語を元にしている以上、各地で並行的に独立して同じ変化を起こすこともよくある。
例えば中舌母音とシ・スなどの統合は、琉球方言の奄美・宮古・八重山にも見られる。

音韻とアクセントもそれぞれ独立した要素だから、ある程度の相関はあっても例外があっても不思議ではない。
音韻やアクセントの中でも、ある要素は保守的で別の要素は革新的ということもよくある。

例えば東北方言では入り渡り鼻音を保持しているが、他の多くの方言はこれを失った。
これは発音の簡略化で、東北方言のほうがエネルギーが要る発音を保持しているということもできる。
一方で、東北方言では入り渡り鼻音が残っているために、語中の清音の有声化が起きた。
これはエネルギーの小さい方向への変化と言える。

なお、北陸で京阪式と言える体系を保持しているのは能登地方だけだ。
他の地域は、東京式と変化の方向が違っただけで、体系としては東京式と同じものになっているものがほとんど。

日本海側に広く見られる変化と言えば、アクセントが母音の広狭による支配を受けるというのが顕著で、
これは確かに興味深い。ただ、青森や岩手の一部では太平洋側にも及んでいるし、讃岐式の東部にもある。
これはイとウが弱い、あるいは弱化する傾向があると言えるかもしれないが、何らかの基層語が原因だと言えるかは分からない。
少なくとも東北に関してはそう言えないことがほぼ明らかなので、他地域に関しても懐疑的にならざるを得ない。

35名無しさん:2011/06/08(水) 00:51:20
>>34
>例えば中舌母音とシ・スなどの統合は、琉球方言の奄美・宮古・八重山にも見られる。
これについては別途考察が必要だが、おそらく裏日本のものとは無関係だろう。
母音体系がそもそも異なる。

>なお、北陸で京阪式と言える体系を保持しているのは能登地方だけだ。
何でそんな半島で飛び地状に京阪式が分布しているかというと、それが伝播によるものだから。
半島状の能登では、京都からの影響がいっそう強く働いたからだ。

>日本海側に広く見られる変化と言えば、アクセントが母音の広狭による支配を受けるというのが顕著で、
>これは確かに興味深い。ただ、青森や岩手の一部では太平洋側にも及んでいるし、讃岐式の東部にもある。
これは興味深い。香川は確か断定の「だ」があったな。
断定の「だ」、ワ行ア行五段動詞の促音便と裏日本式発音要素は密接に関係しているのだろう。
関西の影響が強く強制的に「や・じゃ」を用いている北陸でも、能登の先端や富山では「だ」が見られる。
それからアクセントの母音の広狭による支配は千葉県にも見られたはずだ。
太平洋側に及んでいても何ら不思議ではない。
東関東や南奥羽は無アクセントだが、アクセントを持ったら、こうなっていただろう。

>少なくとも東北に関してはそう言えないことがほぼ明らか
どのような根拠からそういえるのか?

36名無しさん:2011/06/08(水) 01:14:26
それから裏日本式発音要素が自然発生でない確信的な証拠として東山陰地域がある。
この地域はあまり注目されない(「中国方言」と言う間違った区画のせいだろう)が、
アクセント、発音、発音に起因する文法を見ると中部地方(表日本式発音地域)と極めてよく似ている。
そして、畿内から見て両者の奥には裏日本式発音地域(出雲と東北)がある。

37名無しさん:2011/06/08(水) 02:45:00
http://www45.atwiki.jp/truthwiki/m/pages/13.html?guid=on
ここの個人サイトから抜け出して来たのかな。

東北方言や出雲方言についてよく似た記述がある。
方言区画論のスレッドの161も同じ人物だな。

こういう学術的に纏められたかのような仮面を被ったサイトって、
無くせとはいわないがどうも気持ち悪い。

で・・本題だが、
そもそも、東北方言の江戸時代までの記録に、
ズーズー的特徴は見あたらないわけで、
そのあたりを指摘すべきだと思う。

38名無しさん:2011/06/08(水) 11:10:05
>>37
はっきりしたことは言えないが、上代東国方言でイ列音がウ列音になる。
イ列が中舌母音になっていて、これをウ列で書き表したとする説が有力。

39名無しさん:2011/06/08(水) 22:08:25
上代東国語をそのまま今の東北方言に接続させるのは危険。

まず上代東国方言は岐阜から茨城あたりまでの関東・中部の記録が多く、東北南部は少ない。
そして、今の東日本方言には、上代東国方言の痕跡はほとんど残っていない。
同じ特徴がまとまって見られるのは八丈島で、山梨県奈良田、長野県秋山郷にも一部の特徴がある。

奈良時代以降、上代東国語は当時の中央語によって強烈な同化作用を受け、
奈良時代までに持っていた特徴は一旦ほとんど失ったと考えるべきだ。
そして東北北部はそれ以降の日本語圏化だし、東北南部も上代東国語の要素が見当たらない。

関東武士団の東北大量移住は、東北地方の言葉が関東の言葉に強く影響される結果をもたらしただろうし、
その当時の関東の言葉は既に一旦上代東国語の特徴をほぼ失ったあと、
平安時代以降に新たに発達し始めた方言差ぐらいしか持たなかっただろう。

今の西関東方言や東海東山方言には、中舌母音がほとんど見当たらない。
地域的にはこちらのほうが上代東国方言の直系でもおかしくないはずで、
東北北部は当時はアイヌ語圏だったはずなのだが。


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