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おやじの背中
15
:
ダチョウ
:2002/09/17(火) 21:31
>>14
>こういった議論はどうにでもとれますし、解釈できますから。
確かに。以前「屈葬」について人と論じたことがありますが、あの時も「これは
死者の蘇りを防ぐものだ」という意見と「いや、胎児の形に似せ復活を促してい
るんだ」という意見に別れました。人というものは不思議なもんで、全く同じ行動
をしていても、その意味合いが全く違うなんてことはざらにあります。
屈葬にしても殉死にしても、人の行動からなんらかの気持ちを察するというのは
想像以上に難しいことで、簡単に判断したりしてはいけないことなのかもしれま
せん。
僕は「死者を慰撫する心」の証拠として殉死の風習を挙げましたが、ちと軽率で
あったなと反省しております。
16
:
ダチョウ
:2002/09/17(火) 21:55
>>14
まあ、いきなりこんな殊勝な奴になってしまうのもそれなりの理由がある
訳で・・・。
いしいさんに指摘されてから殉死について、少しネットで調べてみたんですが、
いやあ、ダメですね。「殉死という風習の根底には死者が人を望むという考え方
があった」とする僕の説を補強するものが全然見当たらない。
例えば、江戸時代の殉死(いわゆる追い腹)には「義腹」「論腹」「商い腹」と
いう三種類の形態があるそうですが、この三種いずれにも「死者」を意識している
ものが一つも無い。「義腹」は主君、念者(同姓の愛人)との「心中」、「論腹」
は世間体を気にしての「恥」、「商い腹」は子孫、家の名声を期待しての「打算」
です。「心中」「恥」「打算」、追い腹という殉死の物語は「生者」のみを登場
人物とし、「死者」はキャスティングされていないようです。
17
:
ダチョウ
:2002/09/17(火) 22:05
>>14
まあ、今まで挙げたものは、いしいさんの言う「表向きの意義」に過ぎないだけ
であるのかもしれませんが、僕はちょっと自信無くしちゃいました。
という訳で、「引っ張るは殉死の風習がある頃まで遡れる」という僕の意見は
無期限放棄します。なんか面白い情報が見つかったらまた掲示板にて書かせて
もらいます。
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