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51名も無き白山クラブOB:2007/06/13(水) 23:01:14
現場発:「死ねば楽になるのか…」 残業は月80時間超、過労死を認定 /静岡
6月12日11時1分配信 毎日新聞


 ◇契約取れなければ代休なし
 ◇倒れた後、気付いた母−−休暇3日目、25歳で逝った長男
 住宅メーカー退職を決め、休暇に入って3日目の05年7月24日夕方、男性会社員(当時25歳)は掛川市内の自宅で倒れた。高校時代の同級生らと久しぶりにサッカーをして帰宅した直後。意識は戻らないまま同日夜、死亡した。前日、自宅でくつろぐ男性に母は「もうゆっくりしていいんだよ」と声をかけたばかりだった。
 亡くなる前の半年間の残業時間は、タイムカードの記録だけで月平均80時間を超える。磐田労働基準監督署は4月、過労死と認定した。亡くなる数日前、「死ねば楽になるのかな」とつぶやいた長男の言葉が母の胸に残る。精神的にも追いつめられていたのか。「気がついたのは倒れた後だった」と悔いる日々だ。
  ◇  ◇  ◇
 男性は03年8月、住宅メーカー「グッドリビング」(本社・浜松市)入社。同社の販売店「アットハウジング磐田豊田店」(磐田市)に配属され、家の間取り設計や営業を任された。モデルハウスの開店時刻に合わせ午前9時半ごろ出勤し、日中は接客、夜は9時までは顧客回り、それから設計作業。帰宅が午前3時を過ぎることも珍しくなかった。
 店の定休日の毎週水曜と木曜が休日だが、『営業会議』と称する研修が月に1度入る。研修がない休日も自分の顧客回りに走った。タイムカードは押していなかった。男性の元同僚は「契約が取れなければ休みはない、という社内の雰囲気があり、代休は取れなかった」と話す。
 「心臓が痛い」。胸を手で押さえながら、家族や同僚にそう漏らし始めたのは04年夏ごろ。周囲は医師の診察を受けるよう勧めたが、忙しくて行かなかった。目に見えて体重は減り、土気色の顔に家族も驚いた。
 05年5、6月には通常は従業員が4、5人いた同店で2人が相次いで退職。顧客や業務の多くを男性が引き継いだ。同時期、男性は顧客と直接契約を結ぶ主任に昇格。携帯電話には「磐田豊田店は初アポ率(顧客との次回の約束)が非常に悪いよ。100%取って下さい」など、社長名のメールが1日に数件入るようになった。家族には「今の顧客の案件が終わったら辞める」と言いながら、忙しさから退職は延び延びになっていた。
  ◇  ◇  ◇
 男性の仏壇には、絵を描くことが好きだった男性をしのび、顔写真を模写した絵が置かれている。「顧客の要望を家にして実現する仕事にやりがいを感じていた」。絵を見ながら、母は入社当初の男性の生き生きした姿を思い出す。
 当時の同僚は男性の過労死認定を聞き、「やっぱりと思った」。現場は悲鳴をあげていた。同期は次々と辞めていった。「でも会社にはわからない。『過労』と言われても今も自覚はないと思う」。あきらめるようにそうつぶやく。自身も同社を去った。【望月和美】

6月12日朝刊

最終更新:6月12日11時1分


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