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「谷口雅春先生を学ぶ会」を語る会1

967名無しさん:2012/06/03(日) 21:25:05
戦後の“民主化”から 
――逆コースをさらに通って「社会主義へ?」――
 戦争の末期には、あれほど協力した生長の家も、用紙がとまり労働者をとられて、
一時は会社を日本興農社と変えて開拓などをやらなければならなかった。
 敗戦後、会社は日本教文社として再出発(一九四六)、生長の家もはじめて法的に
既成宗教と平等の宗教団体(宗教法人「生長の家教団」)となった。谷口は追放に
なったが、ひとり娘の恵美子の二度目の婿に心理学科出身の荒地清超を迎えて教主と
し、形を整えた。雅春は教祖で、表面上は教団や会社の運営の外にあるが、「ワン・
マン独走」を自認している。著述や講演にきわめて多忙で、酒・煙草もとらず、活動
的な毎日を送っている。
 敗戦の秋に、彼は「今や自由をえたり」と宣言し(『生長の家』四五・一一)、
「生長の家の教ほど平和愛好の教はない」のに、政府や軍の「用いるところとならず
して」敗戦を迎えてしまった。国民として戦争への「協力は当然」だが、行きすぎの
あったのは「仮面愛国者の恫喝を防ぐため、やむなく」やったことだ、と弁明した
(同一二)。追放になると(一九四八)、アメリカからハードマン博士というのをま
ねいて全国各地で講演をやらせた(一九四九)。この博士は二世などの追放解除請求
署名を多数あつめてもってきた。『甘露の法雨』の英訳をお守りにして助かった二世
などがいたのだという。しかし、解除工作は成功しなかった。
 逆コースがはじまると、再軍備には「戸締り論」で賛成し、天皇の護持を強調し、
水爆問題では、反対の社会活動も結構だが、長崎では信者が奇跡的に助かった、など
といって、その政治的認識は、保守的傾向の中・小経営者にありがちのタイプを示し
てきた。それが最近は、社会主義や共産主義について理解を示すかのようなコトバも
しきりになってきた。しかし、それは理解というよりも、ごく初歩的な無理解あるい
は曲解というに近い。


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