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「谷口雅春先生を学ぶ会」を語る会1
468
:
目覚めし者
:2012/03/09(金) 10:17:33
>職員は『生命の實相』がなくなる前提で考え始めた…NEW (7429)
日時:2012年03月09日 (金) 08時50分
名前:「靖国見真会」参加者
イエス・キリストを大事にしないキリスト教はありません。
『バイブル』を大事にしないキリスト教もありません。
しかし、生長の家教団だけはどうも違うようです。
谷口雅春先生の『聖典』を絶版にし、とうとう今度は『生命の實相』もいずれなくなることを前提にして、それ以降、どう教団を経営するか、それを考え始めているというのです。
現に、日本教文社では、社屋に掲げてある『生命の實相』の大看板をどうすべきか、職員間でひそひそ話し合っているというのですから、もはや『生命の實相』なき生長の家教団は既定路線に入ったというべきでしょう。
谷口雅宣先生の2月28日の発言を、職員自身がそう判断し、そう受け止めているという、このことこそが重大なのです。
要は、それをいつ、どのようにして信徒に知らせるか、それだけが関心事項、懸案事項になっているということです。
今、ここでそれを言ってしまえば、信徒に与える衝撃が余りにも大きいから、しばらくは時間をおいて、頃合いを見計らって、ということなのでしょう。
その頃合いがいつのことになるのか…。
私は、最高裁の最終判断が下されたときが一つの山かなと考えております。
そう言えば、確か、森のオフィスのときもそうでしたね。
最初、余りの反発に、本部移転ではありません、と弁解していたことをありありと思い出します。
しかし、いつしか、なし崩し的に森のオフィスは本部移転そのものへと変えられていってしまいました。
上手にガス抜きをして、そして反発心を抑えて、『生命の實相』「聖経」なき教団にもっていくことを考えているのだと思いますよ。
だって、何度もいいますが、それが谷口雅宣先生の本心なのですからね…。
そういう思惑を秘めての今回のブログ記事であると私は考えています。
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