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仏教
9
:
無名
:2013/08/31(土) 07:06:58
如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
http://fallibilis
m.web.fc2.com/001.html
『涅槃経』の有名な「一切衆生は、仏性をもつ」という経文は、“一切の生きものは、仏に成ることができる”という意味に解されたり、果ては、仏教の平等思想の宣言だとまで解釈されることがあるが、簡単にそのように考えることのできない問題を有している。というのも、『涅槃経』に多く現れる「一切衆生は、仏性をもつ」という経文の後には、必ず「一闡堤(いつせんだい)(icchantika)を除く」という語が付加されていて、“「一闡堤」と呼ばれるある種の人々は、永久に仏に成ることができない”という差別的な立場が明記されているからである。
仏教の開祖である釈尊は「縁起」を説いた、つまり、“仏教”とは縁起説であるが、この縁起説とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(a(_)tman 我)〔霊魂〕の思想を根底から否定したものである。従って、“仏教”としての縁起説からは、「無我・無常」の説が導出され、これが仏教の旗印ともなる。しかるに、これに対して、「我・常」ということを積極的に主張するのが、如来蔵思想であり、『涅槃経』には「仏陀とは、我(アートマン)を意味する。しかるに、その我は永遠不変の実在である」と明記されているのである。従って、如来蔵思想の「我の思想」、「有の思想」が仏教の縁起説・無我説と全く逆の立場であることは明らかである。
“釈尊は呪術を禁じた”という伝承は多くの律蔵に認められ、呪術否定が原始仏教の基本的な立場だと思われるが、「空の思想」を説くとされる大乗経典『般若心経』の末尾には、「羯諦羯諦(ぎやていぎやてい)」(gate gate)云々という呪文があり、これを『般若心経』自体では「呪」(mantra)と呼んでいる。ここで「呪」と訳された「マントラ」という語は、一般には「真言」と漢訳されることが多いが、本来はヒンドゥー教最古の宗教文献であるヴェーダ(Veda)聖典本集の聖句を意味していたのである。つまり、『般若心経』は、「五蘊皆空」とか「色即是空」とかの経文においては、「一切法は空である」という「空の思想」を説いているが、最も重要なその末尾の部分において、ヒンドゥー教の「マントラ」という呪術的世界に全面的に没入しているのである。
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