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仏教
82
:
無名
:2013/09/12(木) 02:58:42
ところで、南伝仏教の経典は何語で書かれているのかという話題に触れなくてはならない。
釈迦が説法で用いていたのは、北インドのマガダ語という民衆語だったようだ。しかしマガダ語で書かれた仏典というものは現存しない。仏教の伝来とともにその教えはインド各地方の民衆語に訳されていった(この過程で仏教はさまざまな「部派」にわかれていく。これが「部派仏教」で、その以前の段階を「根本仏教」などといわれる)が、中でもパーリ語という言語で記録された経典は南方に伝来して非常によく残っている。イギリスやフランスが研究した仏典はこのパーリ語のものである。
06ー5 見ると拝むの間にある迷い
阿含経もなかなか大部であり、パーリ語のものは5部に、漢訳された阿含経では4部にわかれる。パーリ語の5部のうち、「相応部」と呼ばれる部分の成立が最も古く、釈迦の言行をよく伝えるものといわれる。また「小部」と呼ばれる部分は、全体の成立こそ遅いものの、その中には「スッタニパータ(経集)」「ダンマパダ(法句経)」とよばれる非常に原初的な教えが含まれる。
相応部経典の中には、風邪をひいてバラモンから滋養のある食べ物を受け回復できたエピソードや、托鉢でたまたま何も得られず帰る道で魔物の誘惑(内心の声をそのように譬えたのであろうか)を退ける話など、神格化されない生身の釈迦の姿が描かれている。教えの内容についても、心にしみわたるものが多い。ここは経典の中身を紹介する場ではないのでこれ以上立ち入りたくはないが、あえてひとつだけあげたい。
それは相応部の中のヴァッカリという弟子が登場するエピソードである。ヴァッカリは病んで、最後に釈迦にひとめ会いたいと願った。釈迦はやって来て言った。「自分に会ったところで何もならない。なぜなら、真によりどころとすべきは法であるからだ」と。
この「法」というのが何なのかは難しいが、まあ「真理」といった意味である。なぜ苦が生じるのか、そのメカニズムを正しく知ることで、迷いの世界から離れることをめざせ。これは阿難に対しても、また他の弟子たちに対しても繰り返し述べていることである。
一方、後世につくられた大乗仏教の経典にはたくさんの如来、菩薩などが登場し、釈迦の言葉としてそれらを礼拝するようにと説くが、この阿含経相応部にある釈迦の言葉を読むならば、そうした人間の力を越えた救済者を想定してそれをひたすら頼めというのは、いかにも本当の釈迦の考えから遠いと思わざるをえない。
南伝仏教は、非常にまとまった形で仏典がもたらされるという幸せな伝わり方をしたが、中国はそうではなかった。阿含経は部分的に分けられて、もっと新しい大乗仏典とともに伝えられた。パーリ語と漢訳の阿含経の比較研究によれば、パーリ語の相応部にあたるものは漢訳では雑(ぞう)阿含経とよばれるが、その内容にはかなりの乱れがあるという。
また、大乗仏典についても、同一経典の漢訳が複数回行われている(旧訳・新訳)お経というのがあるが、もとは同じ経典であるにもかかわらず訳によって内容に濃い薄いがあり、どうやら翻訳の段階における意訳や潤色もままあるようだ。
そして、天台智ぎの思想など、中国で独自に展開された新たな考えも加わって日本に仏典が伝えられ、日本ではそれが日本語に翻訳されることなく中国語のままで音読された。
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