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仏教
81
:
無名
:2013/09/12(木) 02:57:43
ソクラテスの言葉を書き残したのは弟子のプラトンである。ところが、初期の対話篇ではかなりソクラテスの言行をよく伝えるものの、のちに書かれた『国家』ではそこで展開されているのはプラトンの思想そのものであって、ソクラテスはもはや仮託されているに過ぎない。同じように、お経の中にも、初期のものは釈迦の言行をよく伝えるものがあるが、後のものには、たとえ「如是我聞」ではじまっていたとしても、ほとんどそれは釈迦に仮託しているだけであって、そこで展開されているのは後世の仏教思想家の思想にすぎない…。
私が仏像に興味を持ちはじめたのは中学生のころであるということは以前のコラムで書いたが、同じ頃、では仏教とは何なのかということにも関心を抱くようになった。そして、仏教の経典に対してここで書いたような疑問を持つに至った。すなわち、ソクラテスやイエスが本当に何を言ったのか、注意深くプラトンあるいは『聖書』を読まなくてはならないのとまったく同様に、釈迦の本来の思想に近づくためには、批判的に経典を読む必要があるのではないかと感じたのである。
06ー4 阿含経の「発見」
かつて仏教は大きく大乗仏教と「小乗」仏教とに分けられるとされていた。「小乗」は南伝仏教で、インドからスリランカ、ビルマ、タイなどに伝わり、大乗は中国、朝鮮、日本などに伝わった(実際には大乗仏教も東南アジアへ伝わっている。たとえばボロブドゥール遺跡で有名なインドネシアに伝わった仏教は大乗仏教である)。
実は「小乗」仏教とは、大乗仏教側からの蔑称である(従って、現在では用語としてふさわしくないされ、「上座部仏教」と呼ばれている)。「あっちは小せえ」というわけだ。大乗仏教とは釈迦の死後数百年しておこった革新運動であり、おそらくその頃仏教は教条主義的になるなどの行き詰まりもあったのかもしれないが、それまでの仏教を批判して革新派は自らを大乗と呼んだのである。
中国にも「小乗」系の経典が伝わっているが、大乗仏教重視の観点からそれらは低く扱われた。日本でも古くから「小乗」はダメなものであり、日本の仏教は中国伝来の大乗仏教であるという意識が強くあったようで、例えば延暦寺は自らの戒壇(戒律を授ける場。戒律を受けることで正式な僧侶となることができる)を大乗戒壇と呼び、これを認めない東大寺のものを「小乗の戒壇」と批判したと伝えられている。相手にダメージを与えるために「小乗」というレッテルを貼ろうとしたわけなのだから、よほど「小乗」は悪い言葉であったのだろう。
しかし、それにしてもお経の量はなぜこれほど膨大であり、その内容もあまりに多岐にわたっているのか、中国の僧も頭を悩ませたに違いない。
この難問に対し、隋の僧・天台智ぎ はこのように考えた。はじめ釈迦が説いた内容はあまりに難しすぎ、誰もついてくることができなかった。そこでどーんとレベルを下げて、卑近なところから教えを説いて大衆を導き、次第に高度な教えに至り、最後にはついに仏教の神髄を伝えたのであると。智ぎはこの過程を5つの時期にわけて(「五時八教説」)、最初に説いた難しい教えは「華厳経」、2番めの低いレベルの教えが「阿含(あごん)経」、最後の最も高い教えが「法華経」とお経をあてはめていった。当然のことながら、智ぎの開いた天台宗は最高の教えと彼が位置づけた法華経を柱としている。この流れもあって、日本でも法華経は大変尊ばれ、一方阿含経も日本に早くから伝わっていたが重視されることはほとんどなかった。
「小乗」の経典といわれて中国や日本では重要視されなかった阿含経に珠玉ともいうべき内容が含まれていることを「発見」したのは、意外にもヨーロッパ人である。東南アジアに進出した彼らは、キリスト教を進めるため仏教を排斥したいがために南伝の仏教を研究して、皮肉にもその素晴らしさを見いだしたのである。現在でも、イギリスやフランスでは仏教の研究は盛んに行われている。日本の仏教学者が多く僧籍にあるのに対して、ヨーロッパの仏教学者はそうしたしがらみがない分、自由な研究ができているということも言えるかもしれない。
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