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仏教

74無名:2013/09/10(火) 00:07:32
ブッダの批判は、「アートマンは有る」とか「アートマンは無い」という主張が依って立つ土台そのものに対する、もっと根本的な批判だったのです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。

このような神秘的形而上学的な問題に対するブッダの態度は、当然ながら、そのまま神々に対する信仰の否定として現れます。ブッダはしばしば「信仰を捨てよ」と説きました。たとえば、

[ブッダは言った。]ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。(スッタニパータ 1146、中村元訳)
というような言葉は、もっとも旧い層に属する仏典に残されています。原始仏典研究の中村元氏も、仏教はもともと信仰なるものを説かなかった、と語られています。
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」と言って、「信仰を捨てよ」(pamuncantu saddham)という(Vinaya, Mahavagga, I, 5, 12)。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN, XIV, 3 ,7)……。最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。(中村元『ブッダのことば』p.430-431)
そのため、神々への祈願や呪文、犠牲や祭祀、運命判断、胡麻たき、まじないなど、すべて神秘的な力に預かろうとする宗教的行為は、原始仏典の中ではことごとく否定されています。

このようにしてみると、「死後も生残って、永遠に存在し続けるアートマン」など、人間の知識領域を超えたことがらについていろいろ主張する者に対して、「愚かである」と言ったブッダの言葉は、仏典の様々なところに書き残されているブッダの基本的な世界観や人間観にまったく一致する言葉であったといえます。神秘的形而上学的問題に関するブッダの沈黙は徹底していたと考えられます。


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