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仏教
67
:
無名
:2013/09/09(月) 08:35:15
元東大教授、故水野弘元博士は、ご著書『原始仏教』の中で、「大乗経典の作者が出家であるか在家であるかも判らない」と書かれています。 元都留文科大学長、故増谷文雄先生『原初経典 阿含経』の引用です。
「しかるに、ブッダがなくなられてから数百年を経たのち、いわゆる大乗仏教なるものが起こり、かつ大乗教典なるものが生産されはじめた。それとともにこの阿含経が持っていた独占的な地位はようやく崩壊し始め、そこからこの経の運命の浮沈がはじまるのである。」
続けて、増谷先生の昭和55年8月5日、日経新聞文化欄の論説です。 「しかるに、いま、かくのごとくにしてはじめられた明治以後の新しい仏教研究においては、厳密な経典批判の結果として、この阿含経典のみが、よく仏教の根本聖典たることを主張しうるものとなった。つまり、今日の仏教研究においては、仏陀の教法をその原初的なすがたにおいて伝える経典として、よく学問的吟味にたえるものは、この経典群を措いて他にまったく存しないのである。(中略)そして、それを私どもは、根本経典と呼ぶのである。つまり、阿含なる経典群によって知られる仏教こそが根本仏教なのである。」
「ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実」 文学博士 宮元啓一著からです。 「日本仏教は完全に大乗仏教の流れを引き継いだものなので、今でも教典に説かれている教えはゴータマ・ブッダの教えだと広く信じられているが、これは事実に反する。事実はまさに、まさに「大乗非仏説」なのである。
僧侶で仏教学研究にたずさわっている学者たちは、そこで、宗門の立場とアカデミズムの立場との間のギャップに悩まされる。そこで一部の学者たちは、「解釈学」などと称して、初期仏教教典を大乗仏教的に解釈し、大乗仏教は、ゴータマ・ブッダの教えの「スピリット」を忠実に引き継いだ仏教なのだと主張する。しかし、これはもはや「神学」であって、やはりアカデミズムからの逸脱でしかないと思う。」
インターネット辞典、ウィキペディアでも大乗非仏説について以下のように言っています。 「文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。」
『法華経の出現』(大蔵出版)菅野博史(創価大学教授)より。 「原始経典(小乗経典)が原則的には歴史上の釈尊(ゴータマ ・ブッダ。紀元前5世紀〜4世紀、または6世紀〜5世紀)によって説かれ、 弟子たちによって伝承されてきたものであるのに対して、大乗経典の成立の 事情は大いに異なっています。 というのは、大乗経典には伝承の部分が不明であり、有り体にいえば、 新しい仏教運動の担い手たちの創作にかかると推定されます。 このことは大乗非仏説といわれるもので、日本では富永仲基や平田篤胤 によって早くも江戸時代に主張されたことでしたが、明治中期に改めてヨーロッパ の仏教学から学んだ歴史的知識として、現在では広く認められる考えです。」
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