[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
仏教
3
:
無名
:2013/08/26(月) 23:30:34
信仰を捨て去れ
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。(スッタニパータ 1146、中村元訳)
というような言葉は、もっとも旧い層に属する仏典に残されています。原始仏典研究の中村元氏も、仏教はもともと信仰なるものを説かなかった、と語られています。
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」と言って、「信仰を捨てよ」(pamuncantu saddham)という(Vinaya, Mahavagga, I, 5, 12)。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN, XIV, 3 ,7)……。最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。(中村元『ブッダのことば』p.430-431)
そのため、神々への祈願や呪文、犠牲や祭祀、運命判断、胡麻たき、まじないなど、すべて神秘的な力に預かろうとする宗教的行為は、原始仏典の中ではことごとく否定されています。
たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。・・・
たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。
(相応部経典42.6 増谷文雄訳)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板