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仏教
23
:
無名
:2013/09/04(水) 06:47:58
「自らを灯とせよ」
http://www.ccv.ne.jp/home/osagami/text8-10.html
お釈迦さまが晩年に病気にかかられたときのことです。お弟子たちは、お釈迦さまがなくなられたら、あとは誰れをたよりにしたらよいだろうかと心配しました。そのことに気づかれて、お釈迦さまは、
「自(みずか)らを灯明(とうみょう)とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法(ほう)を灯明(とうみょう)とし、法をたよりとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と語られたといいます。「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」の教えとして、有名なお言葉です。
とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。とくに権威(けんい)ある人に追随(ついずい)して、自分で考え、自分で何が正しいかを見定めようとはしません。実はその方が安易(あんい)だからです。しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということになりがちです。人間が人間を信じるということは危険性をともうことなのです。人の言葉を鵜呑(うの)みにして頼るのではなく、何が正しいかを、はっきり見定めることのできる自分を確立してゆくことが、大切であることを、お釈迦さまは「自らを灯明(とうみょう)(ともしび)とせよ」と教えられたのでした。
それでは、私どもは何を根拠(こんきょ)に正しいと判断すればいのでしょうか。それをお釈迦さまは「法を灯明(とうみょう)(ともしび)とせよ」と教えられたのです。法とは、物ごとの本当のあり方のことです。たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものは一つとしてありません。この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。
また、すべてのものは依(よ)りあって成り立っています。この事実が「縁起(えんぎ)」という法です。これらのことは誰れでも認める真理ですが、しかし、私たちはこの明白な事実でも、自分自身のこととなるとなかなか認めようとしません。他人は死んでも、自分はいつまでも元気でいると思っています。これが、迷いそのものなのです。私たちが自分だけは例外だ、と無意識に思いこんでいる誤りに気づき、迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられて、自分自身が目覚(めざ)めていくことが大切です。そのことをお釈迦さまは「自らを灯明(とうみょう)(ともしび)とせよ」と教えられたのです。
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