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仏教

100無名:2013/12/25(水) 17:37:21
無我-3

アートマンは、認識されることがありませんから
一切の認識の対象はアートマンではありません。
「この我は、ただ『非也、非也』と説かれるのみ」
だと説かれていますので、
「これはアートマンではない」という否定によってのみ
アートマンは表わされます。
「これはアートマンです」とは言えません。

このように説かれていても、
人々はアートマンを探究しました。
一人でかくれんぼをしているようなもので
捜している相手は見つけることはできないのですが
人々は、アートマンに執着しました。

そこで釈尊は、より強力な言葉で
アートマンへの執着を戒めました。
それが、「アナートマン」(無我・非我)です。
つまり、釈尊はアートマンの存在を
否定しているのではなく
「アートマンは認識できない」と説いています。

聖仙ヤージュニャヴァルキヤの教えを
釈尊は否定したわけではなく、
むしろ、強く肯定しているわけです。
アナートマンとは、我執の否定です。


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