したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

資料集 Part2

317アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:14:26

>>282->>304  (前段からの続き)


病態水準の分析には、現状の様態のほかに成育歴などの情報も重要な要素となります。


防衛機制の水準がどこまで退行するかは、自我の発達段階において、どこに葛藤を抱えていたのか、発達を阻害した要因はどこかということが手がかりとなるからです。

大川隆法の異常性については、いまさら指摘するまでもありませんが、こうした病態の根源を検討しようとした時、大川自身による立宗までの生い立ちの記述は貴重な材料となります。

318アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:15:51
>>317

大川隆法「太陽の法」(初期版)より

生来、田舎育ちで、愚鈍であった私ですが、小学校のころから、「自分は頭が悪いから、人の三倍、三倍努力して、やっと一人前だ。社会に出て、世間の役に立つような人間となるには、ほかの人が眠っているときに、寸暇をおしんで、四倍、五倍の努力をしなければいけない」と考えていました。


十歳のときのことですが、四国の山奥で、寒い冬、毛布を腰に巻き、手袋をはめて、夜おそくまで勉強していた私自身をおぼえています。暖房がなかったからです。ただ、十代の自分をふりかえると、まったく亀のようであったと思います。私は、兎のようにあかぬけた秀才にはなれなかったのです。


田舎育ちの少年は、十八歳の春、三十キロを越す本をバッグにつめ込んで、東京駅に降りたちました。まだ凍えるほどの寒さだったというのに、顔を上気させ、汗を流しながら、どうやって渋谷駅に行ったらよいかがわからず、途方にくれていたのです。この春、東京大学文科一類を受験して、二次試験不合格となりました。翌年は、蛍雪一年の功があって、なんとかすべり込みました。


しかし、東大法学部の学生は、全国から集まった秀才ばかりで、たちまちにして私は、劣等感の虜になってしまったのです。それゆえに、人と会うと大言壮語をはく。そういう自分がいやとなり、やがて対人恐怖となり、下宿にこもって、本ばかり読むようになっていました。


大学二年の冬から、翌年の夏までは、都会育ちの才気渙発な女性に心魅かれて、ラブレターを書きつづけていたことをおぼえています。ラブレターを書きつづけて、半年後、やっと便せん一枚だけ返事がきました。それをもって、二階にあがる階段の途中で、太陽の光にすけて見えるその手紙の薄さに落胆しました。私は、彼女へのラブレターを、小包にして送っていたのです。


私は、その彼女とは、わずか一度しか話したことがありません。私は、対人恐怖に輪をかけた赤面恐怖症で、若い女性とは、ひとこと、ふたこと話すだけで、あとは上気してしまい、話にならなくなったからです。

319アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:17:54
>>318

失意のなかでも、私は、亀のごとく、本だけは読みつづけておりました。頭が鈍るという理由から、夕食の量を減らしてまで、法律と政治学の勉強をしました。しかし、一年の留年ののち、司法試験は、短答式試験には合格するも、論文試験には不合格。国家上級公務員試験も不合格。東大に助手として残ろうとしたのですが、成績不良につき、その道もとざされてしまいました。そして、ある商社にやっとひろわれた感じで就職したのです。


十歳のとき、四国の山のなかで、白手袋に息を吹きかけながら、赤い耳をして、寒さのなかで勉強していた自分の姿を思い出すと、私は、涙が流れました。私は、この世的に成功しようとすると、つぎつぎと打ちくだかれていったのです。


そして、自分のいつわりの人生をふりかえっては、こう思っていました。「ああ、自分は世の中に対して、なにひとつ還元していない。自分は、自我我欲のままに生き、まったくの悪人になってしまった。いま、死ねば、きっと自分は、地獄の最深部に堕ちて、何百年ももだえ苦しむにちがいない」


二十四歳の冬、私は、高橋佳子著の「真・創世記 地獄編」「天上編」などを読み、これを通して、さらに高橋信次著「心の発見」と出会ったのです。夜あけ前が、いちばん闇は深く、運命は、ひらける前に、その底につきあたるのです。そして、とうとう、運命の歯車がまわりはじめました。大学卒業前の、卒業試験のころでした。


法律ばかりを勉強していた私が、六法ではなく、正法に触れたのです。一九八一年一月のことでした。高橋信次の著作「心の発見・神理篇」をはじめて読みはじめたのですが、五十七ページぐらいに達したとき、私は、自分の胸が大きく打ちはじめ、体が、こきざみに前後に揺れていることに気づきました。


なにかが起ころうとしていたのです。私は、同じ著者の作品をつぎつぎと読んでいったのですが、口をついて出てくるのは、「私は、この神理を知っている。むかし、これを学んだことがある」ということばでした。

320アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:19:25
>>319

同年の二月二十三日、日曜日だったと思います。突然、だれかが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、いそいで、カードと鉛筆を用意しました。鉛筆をもつ私の手が、まるで生きもののように動きはじめ、「イイシラセ、イイシラセ」と、カードに何枚も書きはじめたのです。そして、「おまえは、なにものか」とたずねると、「ニッコウ」と署名します。日興上人だったのです。


そのあと、日蓮聖人からも通信を送られはじめました。聖人の私に対する最初の教えは、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」 という三つのことばでした。この時点では、私はまだ、自分は過去世で日蓮宗系の僧侶だったのだろうかと思っておりました。


しかし、決定的な瞬間がきました。一九八一年六月のある夜のことです。いままで聞いたこともないような荘厳な声が、突然、私の心に響いてきました。そして、高橋信次という人が、私に、通信を開始したのです。この方は、ちょうど五年前に亡くなっており、私は、その方に生前に一面識もなく、その存在すら知りませんでした。


高橋「大川隆法よ。今日、私は、おまえの使命をあかすために来た。おまえは今後、おおいなる救世の法を説いて、人類を救わねばならないのだ」

大川「先生、私は一介の商社マンです。しかも、かけ出しの新入社員です。この私などに、なにができましょう。それとも、お嬢さんがついでおられる、GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」


高橋「GLAは、おまえを必要としない。おまえは、おまえの道を切り拓け。独力で自分の道を切り拓いてゆけ」


このとき、高橋信次と名のる霊は、私の使命と、私がなにものであるかを語りました。私の話を聞いて、非常におどろいて、即刻、私の郷里からかけつけて来た人がいました。その人とは、現在の善川三朗幸福の科学顧間です。


そして、やはり同じ一九八一年六月に善川三朗顧間の前で、私を通して、イエス・キリストが出現したのです。それは、衝撃の事実でありました。それ以後、善川顧間と私は、つぎつぎと眼前にくりひろげられる霊現象を前に、あるいはおどろき、あるいはいぶかりながら、神理の探究をはじめたのです。やがて、日蓮聖人が、善川顧間の過去世は、六老僧のひとり、日朗上人であることを告げました。そして、その縁で、当時、私の指導霊役の一人であったことも、知らせてくれたのです。

321アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:20:36
>>320

私が呼べば、天上界のありとあらゆる霊が出て来はじめたのもそのころです。私たちは、ことの重大さをかんがみて、彼らがほんとうに高級霊であるということが確信できるまで、世間に対して、約四年間の沈黙をまもりました。しかし、どのように疑おうとも、彼らの語ることばは神理であり、地上のどのような識者にも見られないような、威厳と叡智に満ちあふれていたのです。


一九八五年八月、私たちは、第一巻目の霊界通信、「日蓮聖人の霊言」を世に問いました。反響は予想以上に大きく、私たちが危惧していた批判の声は、意外にも数少ないのにおどろきました。同年十月に、「空海の霊言」、そして、十二月、『キリストの霊言』、さらに、一九八六年二月、「天照大神の霊言」とつづきはじめると、読者の声は、なりやまなくなってきました。こうした霊言集を刊行しながらも、私の会社勤務はつづいておりました。


都内にある国際的な総合商社で、私は、国際金融を担当していたのです。ニューヨーク本社勤務も、研修で一年赴き、ニューヨーク大学でも勉強しました。私は、善川三朗氏のかげにかくれて、いつしか世間的な出世を考えはじめていたのです。社内では、エリート街道をまっしぐらに走っているように見られ、いつしか女子社員からも、ちやほやされはじめている私であったのです。




しかし、一九八六年六月、ついに、鉄槌がくだりました。日蓮聖人、イエス・キリスト、天之御中主之命、天照大神、モーゼ、高橋信次と、つぎつぎに降下した霊たちは、私に、即座に会社をやめよときびしい姿勢で通告をしてきたのです。三日間、眠られぬ夜がつづきましたが、結局、私は、会社に辞表を提出しました。そして、同年、七月七日に三十歳の誕生日を迎えたばかりの私は、七月十五日、お世話になった商社を去ったのです。


一九八六年九月、私は、東京に「幸福の科学」を設立し、神理伝道に全生涯をかけることを決意しました。「一粒の麦、もし死なずば・・・」というイエス・キリストの声がきこえてきます。私は、これからの数十年の生涯を、獅子のごとく吼えつづけるつもりです。神理のために、ともに吼えてくださる方が、ひとりでも増えてくれることを、心から願いながら・・・。

「太陽の法」(初期版)

322アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:21:49
>>321

大川自身が過去を封印した「方便の時代」以降、現在ではこの旧版「太陽の法」内での自叙伝の部分は、まるで別物に改竄されました。
その新版での幼稚な自己礼賛を笑いつつも、一方でこの旧版の記述に対しては、まだ実直でマシな印象という意見もあります。


しかし、子供の頃から父親の善川(当初は親子関係を隠していた)から日常的に宗教的な話を聞く環境にあったのに、二十歳を過ぎて初めて神理なるものに触れたような表現、また、海外勤務に耐えられるような英語力もなく、FAXの送り方すら分からずに、結局入社して間もなく窓際に追いやられ、社員食堂で同僚にキツネが憑いていると言ってお祓いを始めて、周囲から気味悪がられていたものが、エリート街道で女子社員の人気者などなど、新版を待つまでもなく、すでに嘘と妄想が入り混じった騙りが見て取れます。


そしてこの資料集>>192->>207「ダブルバイント」で取り上げた、空虚な自己像を埋めるための道具(他者)を求める自己愛的な変質者の、「初めは不幸な人間として表れる」という典型的な訴えでもあります。

323アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:23:23
>>322

さて、この自伝より、少年期の劣等感が強く、内向的で神経過敏な気質から始まり、青年期には、それが恐怖症性不安障害のひとつである「対人恐怖症」という強迫神経症の水準に至って、社交不安障害を発症していたのは、大川隆法本人が自白している通りです。


思春期における対人恐怖というのであれば、恥の文化と言われる日本社会においては民族的な気風でもあることを考え合わせると、さほど特別な心性とは言えず、実際そのほとんどは一時的なものとして自然に解消されていくものですが、それが慢性化した場合には、赤面症や自己臭恐怖症など社交不安障害、またパニック障害、ひきこもりといったかたちで発症することになり、そうなると単に性格の問題ではなく病態としてケアが必要な段階になります。


対人恐怖症者の心中では、他者との関係下における自己の異質性、劣等感の自覚と、自己顕示、自己優越への強い欲求が激しく対立しており、その葛藤の最中で、もともと自分とは無関係な外部の出来事を、自分と結び付けて考えたり、特別な意味があるように受け止める「関係念慮(idea of reference)」 といった症状などを発現させ、妄想性を強化して病態を重症化させるのです。


こうした対人恐怖症者のメンタリティーの特徴は、「自意識過剰」な自己意識と言えます。
そして、対人恐怖症というのは、他人に自分がどう映っているかに囚われ過ぎることが原因で生じる症状であることから、人格構造の類型のうち、自己肯定も否定も全てを他者に依存する、他者評価が自尊心と直結した「自己愛性人格」に発症しやすいと考えられています。

324アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:24:47
>>323

大川隆法については、「自己愛的な変質者」と考えられることは以前に指摘しました。


1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちにしか理解されない。または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識。特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由無く期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する。自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない。またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。 
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。


上記は、「DSM-Ⅳ-TR (精神疾患の分類と診断の手引き)」に列挙された自己愛性パーソナリティ障害の症状の特徴で、各項目それぞれ大川に表れている状態として異論のないところかと思います。

本人自白による青年期に生じていた自己障害からの人格構造の分析と、DSMの操作的手法による現状診断とに一致が見られているわけですが成育歴を加味した分析として、ここではもう一歩踏み込んでいきます。

325アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:25:52
>>324

この「過度に強調された誇大性」・「搾取性」・「共感性の欠如」・「傲慢」などと定義づけされている自己愛障害に至る要因について、かつては早期幼児期における母親からの応答の不十分さが原因と考えられてきました。


しかし、病因論的定義に立ち返ってみた時、そもそも自己障害というのは「自己対象関係障害」ということであって、自己愛の対象体験の不全による障害ということであれば、その自己愛の障害も自ずと異なると考えられるようになりました。
そこで自己愛障害の自己愛尺度の再検討がなされて、近年では自己愛障害の「誇大的側面」と「過敏的側面」という特徴に着目し、二種類の自己愛障害として、より緻密な要因の探索が進められるようになっています。


もっとも、その表面化している側面の背後には、もう一方の側面が潜むという表裏一体の構造で、二種類が独立して存在しているものではありません。

そうした複雑な構造の分析は、他者からの批判や嫌悪を恐れる「対人過敏性」、感受性の鋭さから人との関わりを避けようとする「回避性傾向」、自己愛が満たされない時に激しく怒りを露わにする「自己愛憤怒」の三因子の度合いによって検討されます。

326アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:26:58
>>325

そして、親からの情緒的で共感的な応答性が不十分な養育環境(自己否定を強化するアプローチ)にあると、自己評価を安定させるために、つねに他者からの肯定的な評価を求める欲求が生じ、防衛対策から対人関係における誇大的側面が強くなって、ひたすら自己顕示的で、独りよがりの優越感や特権意識から、周囲の特別な配慮を求め、またそれが満たされなかったり、他者から批判的・無視的に扱われた場合の、「自己愛憤怒」を特徴とした自己愛障害が生じやすいと考えられています。


一方で、過保護で密着型の養育環境(他者依存を強化するアプローチ)にあると、個体の分離化が妨げられ、温室育ちの中で社会的訓練が不足していき、心理的安定性の欠如や自己評価を維持する心理的機能の脆弱さが生じて、防衛対策から過敏的側面が強くなって、低い自尊心と空虚感を抱えつつ、社会性が身につかないまま、心気的で傷つきやすく、抑うつ的な、「対人過敏性」と「回避性傾向」を特徴とした自己愛障害が生じやすいと考えられています。


要は、育児放棄・育児怠慢といったネグレクトばかりでなく、極端な親子密着の過保護・過干渉も、子供にとっては、そのどちらもが自己障害を引き起こすストレスになることに変わりがないということです。

327アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:28:20
>>326

大川の場合、すなわち中川家の養育環境については、それを実際に見聞してきた結果として、過保護・密着型のタイプであったと判断できます。
特に、母子の密着度合いが、父子関係のそれと比べて極端に高いものです。


大川の母親、中川君子さん(本名)は、会内ではかつて秘書長の肩書を与えられてはいたものの、実質的には何ら運営に携わっておらず、資料の乏しい人物です。

しかし、過去に中川家の周辺事情を取材したルポの中には、君子さんの理容室で、毎回延々と息子たちの自慢話を聞かされるといった証言などから、多少その人柄が垣間見られるものもあります。
私もこれまで何度か、自身の見聞によるものなどを、この資料集にて扱ってきました。


身内に対しては、非常に情が篤く、隆の告白にある兄への劣等感から、兄弟間での差別があったように受け取られかねませんが、そうしたことはなく、母性は兄弟両方に注がれています。


中川家は父の忠義が事業に失敗するなど、経済的には恵まれず、必ずしも地元の名家などではありませんでしたが、プライドの高さから他者に弱みを見せることなく、あくまで上流意識は保持していて、相対的に周囲をやや見下した態度のコミュニケーション形態であったのは昔からで、私が接していた頃にも、それは君子さんばかりでなく善川についても同様でしたが、そうした印象をよく感じました。


外部から見られていた、中川家の教育熱心で過保護な養育環境は、そうした意識に根差し、かつ代償的な要素も含んだものとして、子供(特に長男)の出来の良さは、またその意識を高める働きをしていったのでしょう。

328アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:29:41
>>327

過保護で、地域社会から浮遊した家庭環境に育つと、年齢に比して幼い印象を与える、社会性の欠落した子どもになります。

保護と依存とは対称関係にあって、親の保護が強ければ強いほど、子は親に依存するようになり、そうした依存性の強化が、子の人格の核の形成を遅らせるからです。

こうして過保護が常態化すると、人格の発達が促進されず、子供は自我の軟弱な人間に成長します。

一般的に「我が強い」というのと、「強い自我」というのは意味が違います。
自他未分化の自己中心性からなる単に我が儘としか言えないものを自我の強さとは言いません。


自然に自我が発揮されるように導かれれば、子供には現実検討力が備わり、創造的で目的意識が強くなり、そのために自制心も養われるようになりますが、依存性が強く、他者性・社会性が担えないまま自立できないでいると、現実と向き合えず、空想や神秘的なものへの憧れが高まって、考え方が非現実的で非生産的になり、衝動的でまとまりのない人間になるのです。


また、虚言癖も現れます。
当初は自己弁護や自己正当化のために意図してついていた嘘も、心が解放されないままでいると、妄想性が強化されて、現実の中に空想を、反対に空想の世界に現実感を持ち込んだりと、現実と空想の垣根が曖昧となり、自分が作り上げた虚構の世界の中で、嘘を嘘と自覚しないまま、嘘を言い続けるようになります。

329アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:31:00
>>328

対人過敏性の高い子供は、自己の主張や能力を抑圧することが、対人関係における葛藤や失敗といった傷つきからの防衛策となるため、外部との現実的な接触を避け、人間関係が希薄になりがちです。
それがやがて、いわゆる「内弁慶」「外幽霊」といった状態になって、存在感のなさを醸し出します。


けれども一方で、抑圧された自己顕示、承認・賞賛への欲求には、依然として他者評価に大きく依存する必要があり、自己愛的万能感による幻想的な自己イメ−ジを維持するために、肯定的な評価のみを求めて、他者を理想化して利用しようとするコミュニケーションパターンが定着していきます。

そして、その根底では、理想的自己像と現実自己とのギャップの自覚から、自身への幻滅も感じており、このことが自己の断片化を進めていき、これらが性格として固着していくにしたがって、周囲との成熟した良好な人間関係の構築が困難になっていきます。


地元においても、世に出てからも、この兄弟には親しい人間関係の形跡がまるでありません。
学生時代から、成人してもなお、社会不適応で自立に難儀していた中川兄弟の様子を考えると、養育環境の問題がこの兄弟の人格形成に深い影を落としたことは否めません。

330アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:32:04
>>329

共に過保護の影響を受けた中川兄弟ですが、ただし、兄弟を比較した時、兄の力の方に少し「溺愛児」的な傾向が見える部分があります。

これは夫婦の不仲や生活苦、また出産に関わる困難などをきっかけに、親の精神的な未熟さや、情緒的な欠陥から、母性本能に溺れる状態に陥っていくものとして、とかく親としての経験が未熟な時期の、長子にはありがちな傾向ではありましょう。

外部から評価すれば、総じて過保護な環境とは見えても、表出した特徴を比較してみたとき、家庭内部においては、結果的に兄弟間での差異も生じていて、そうした部分が次子の隆にとって、自分の欲求する応答性が充分に満たされない感覚を与えたのではと推測しています。


君子さんは、出来が良いものの、時に我が儘で、自己中心的な態度を見せる兄に対し、弟は物静かで優しかったと言っていました。
学生時代も社会人になってからも、ほとんど毎日連絡を欠かしたことがなく、節目にはいつも花を送ってくれるような子であったと。


そんな我が子の、教祖になってからの手のひら返しの豹変ぶりが理解できず困惑して、それを嫁や周辺の職員の責任に転嫁して納得しようとしていたわけですが、一見、大変な親孝行なようで、その実は依存対象を喜ばせようとするだけの過剰な態度は、自己評価を高めるための必死の操作、強い承認欲求の表れであって、それは思慕の情動の中に、羨望と嫉妬といった正反対の感情がアンビバレンツ(両価的)に含まれた、愛情と憎悪が入れ替わる「反動形成」の時期そのものであり、他に依存の憑代を得たからには、所詮は自分しか愛していない自己愛者にとって、役割を終え既に無用の長物と化した親を切り捨てることなど、まったく不思議なことではないのでしょう。

331アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:33:27
>>330

ただ、母親に対して直接それを示そうとする自分自身と直面することは、自らの疾しさと向き合う葛藤を生むことになって耐えられないため、それを自覚しなくて済む都合の良い回避回路である神託だの霊言だのを介するようにして、たまたま教団内の関係性上、その憎悪を投影しやすい、顧問であり父親である善川への仕打ちとして表現されたのです。


最も、このことによっても大川のマザコンは本人の中で未だに解消されてはいないようです。
大川が愛好しているという、女性職員と赤ちゃん言葉で交わされる幼児プレイなどに象徴されるのは、子供の頃に満たされなかった接触願望への代償行為と考えられます。大川の精神構造は、子供の頃のまま発達を停止した状態なのです。


せめて学生時代のその頃に、下宿にひきこもっていないで専門医の門をくぐっていたら、今日のようにカルト教祖として世の笑い者にされて、無意味に一生を棒に振ることなく、人としてマシな人生を送れていたかも知れません。

大川とて、初めは皆と変わらぬ無垢な赤子で生まれてきたからには、皮肉な意味でなしに、気の毒な人間だと思います。

332アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:34:39
>>331

精神科医の岡田尊司氏著の「マインドコントロール」という書籍の一節には、宗教的グルの特性として以下のような要約があります。


『宗教的グルの心理特性』

①グルは不安定な精神構造を抱え、妄想症や神経衰弱、自己断片化などに陥る瀬戸際にいる。

②グルは啓示を受け、「真理」を悟ったという確信を抱いている。
その啓示は、三十代か四十代の苦悩や病気の時期に続いてやってくることが多い。

③グルは弟子や礼賛者を必要とする。
脆弱な精神構造を抱えているために、自分を支えるために彼らの賞賛や尊敬を必要とする。

④グルは、弟子に「不滅の感覚」を与える。
それは、「死をものともしない感覚」であり、「自分の限られた時間を超えて無限に続く存在の偉大な連続の一部であるという感覚」でもある。

⑤グルは弟子にとって親よりも重要な存在であり、弟子は仕事も財産もすべて擲って、グルとその偉大な目的のために尽くすことが求められる。



本書は専門書ではありませんが、この宗教的グルの特性について述べられた部分は、たいへん明快で分かりやすいと思いますので、以下に引用してご紹介します。

333アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:35:52
>>332

グルは脆弱な精神構造に加えて、苦悩や病気の体験によって、極限まで追いつめられ、そこで啓示を得るという逆転を起こす。

しかし、グルは真理を得た後も、自分一人の悟りによっては安定を得られず、弟子を獲得することによって初めて、自分の誇大な自己愛を支えることができる。

弟子は、すべてを擲って、グルとその理想に奉仕することが求められるが、その代償に弟子はグルと行動を共にすることで、不滅の感覚を与えられる。

不滅の感覚は、グルの誇大な自己愛が抱いた万能感に由来すると考えられる。


傲慢なまでの自信と揺るぎない確信がカリスマ性の源泉であることは、多くの人が指摘していることであるが、グルは奇矯なまでの万能感を膨張させることによって、自信の無さと不安を抱えた人々に、強烈な印象と救済者としての期待を呼び起こす。


一介の市民が、グルに生まれ変わる際に生じる心的メカニズムは、躁的防衛(自己愛的防衛)という概念によっても説明することができる。

幼い精神構造を抱えたものは、思い通りにならない現実にぶつかったとき、落胆と絶望からわが身を守るために、誇大自己を膨らませ、万能感で武装し、他者を征服し、支配し、軽蔑することによって、自らの価値を守ろうとする。


蔑まれ、辱めを受けた存在は、躁的防衛によって、自信のない男ではなく、神のような確信に満ちた存在に生まれ変わろうとする。
それによって、実際に人々から崇められる存在となる。
得度に至る前の苦難の時期は、躁的防衛を生じさせるために必要な極限状態だと言える。

334アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:37:08
>>333

しかし、真理を手に入れた聖者だと言っても、グル自身、精神的な脆弱さを克服したわけではなく、ただ躁的防衛によって誤魔化しているだけである。

したがって、万能感を傷つけられるような事態に出会うと、自己愛的な怒りにとらわれ、さらには被害妄想的になったり、神経衰弱や自己断片化を起こして、崩壊していく。


麻原が衆議院選挙で惨敗を喫してから、被害妄想が強まり、ハルマゲドンに走って行ったように、また、人民寺院のジム・ジョーンズが、離脱した元教団幹部が、ジョーンズタウンは強制収容所だと内情を暴露し、マスコミや国会議員が動き出したことから、危機感を募らせ、ついには集団自決によって九百人もの信徒を道連れにしたように、崩壊が始まると、一気に破滅的な暴走に至る。

それは、社会に対する攻撃と自己破壊的願望が一体化しているという意味で、社会を巻き込んだ無理心中だと言えるだろう。


万能感の肥大した誇大自己を抱えた人は、自分が死ぬときには、世界を道連れにしたいという思いを抱きやすい。
その人にとっては、自分が世界より重要なので、自分が滅んだのちも世界が存在するということが許せないのだ。


そうしたグルや教祖が営む教団は、共感や愛をその教義に謳っている場合でさえも、支配と主体性の剥奪が起きやすく、独善性に陥ってしまう。そこでは、自由な精神の発露も、真の創造性や自然な情愛も圧殺される。

理想郷を目指したはずが、「強制収容所」が生み出されてしまう。それは嫌と言うほど歴史が繰り返した真実である。

これらの特徴は、宗教的グルに限らず、政治的なグルである独裁者の特徴ともぴたりと合致することに気づかれるだろう。

「マインドコントロール」(文藝春秋)

335アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:38:23
>>334

数々の挫折経験のたびに、その対象喪失がもたらす抑うつ不安に耐えらず
やがて公正な競争・努力を要する現実社会からドロップアウト。
最後には人間をやめて神になる。


大川自伝を読み解いてみれば、そこにはカルト教祖に共通する心理特性を見出すことができます。
洋の東西を問わず、時代が違おうとも、所詮は同じ人間がすること。
大川隆法もカルト教祖誕生の既定路線を歩んでいただけのことです。


自我の脆弱性や、正常な精神発達の障害が、カルト教祖を生む素地となっていることに、もはや疑問の余地はありません。

しかし、選挙での惨敗、教祖の離婚・再婚、世間での「イタコ芸」という呼び名が定着した陳腐な霊言の連発、またその中でなされる反社会的、破壊的発言の数々と、教祖が既に取り繕いようもないほど崩壊しているというのに、最盛期に比べれば半分以下の、実質的には発足当初の勢力にまで減退しているとはいえ、こんな状況でなお追随しようとする信者の心理は、一般的に理解しがたいところでしょう。


先の文章には、グルに対比した信者の心理についても述べられているので、引用を続けて考えてみましょう。

336アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:39:46
>>335

結局、宗教的カリスマも政治的カリスマも、自らが聖者や神となる以外には救われないほどに、誇大に膨らんだ自己愛を抱えた存在だと言える。

矮小な自己愛しかもたないものにとって、見かけ倒しに過ぎないとしても、自信と確信に満ちて「真実」を語るものは、強烈なインパクトをもって迫ってくる。

そして、自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も自信ももてない存在にとって、「真実」を手に入れたいと語る存在に追従し、その弟子となることは、自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚を生む。(霊的覚醒という感覚)


その錯覚のまやかし性は、グルが特別な存在だと信じることによって、自分も特別な存在だと証明されるという構造によって支えられている。

グルが、聖者などではなく、聖者のふりをしたペテン師だということになってしまうことは、グルが特別でなくなるだけでなく、自分のまた、ペテンにかかったただの愚か者だということになって、何ら特別ではなくなってしまうことを意味する。

つまり自分が特別な存在でありたいという願望が、グルを信じ続けるしかないという状況に、その人を追い込んでいく。
それを疑うことは、自分が生きてきた人生を否定するようなものだからだ。

337アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:40:57
>>336

カルトに陥った人は、さまざまな理不尽さや矛盾を味わう。しかし、それを見て見ぬふりをする。
理不尽さや矛盾と向き合い、グルが特別な聖者だという前提を疑うことは、自分自身の存在の支えを危うくすることだからだ。
都合の良い事実だけを見て、グルを盲信し続けるしかない状況に陥っている。


そうした構造は、妄想性の精神疾患でも、しばしばみられる。
何年にもわたって、自分が特別な存在だという妄想とともに生きてきた人は、薬物療法によって妄想が、妄想だとわかった時、危機を迎える。それは、長年自分を支えてきた世界の崩壊に等しい。

もう何も頼りにするもの、自分を支えてくれるものもない。ただ、自分が何年も妄想にとらわれて人生を無駄にしたという事実しか残らない。それはあまりにも残酷な現実と向き合うことだ。
妄想が取れた時、自殺してしまう人もいるのは、そうした理由からだ。


それと同じように、自分が信じたグルが、偽物だということを受け入れることの困難さは、カルトや反社会的集団からの離脱を難しくする要因にもなっているし、そこから脱した後、一時的な危機がやってくる原因でもある。


宗教的なグルに限らず、肥大した自己愛をもつ他者にすがって生きようとするものは、みんな同じ目に遭う。
DV男性や反社会的男性の愛情にすがった女性は、暴力をふるわれ、搾取を受け、第三者から見れば愛情とは正反対のものしか与えられていない。にもかかわらず、彼女たちは、男が性交の最中に囁いた愛の言葉の方を信じようとする。

なぜなら、その男の支えがなくては、自分は生きられないと思い込んでいるからであり、どんなに酷い目にあっても、その男が悪い人だと思うことは、自分の拠り所を失うことを意味するからだ。

「マインドコントロール」(文藝春秋)

338アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:42:09
>>337

グルに心理特性があるように、信者にも心理特性があります。
>>192->>207の「ダブルバインド」の中で、それを「メランコリー親和型」と指摘しました。


このメランコリー性格の持ち主というのは、自分より以上の対象、信者の目線で言えば教祖や教団に対して自己を合体させ、一体化を起こすことで安定し、教祖や教団の信条を自らの信条とし、対象に対して献身的で忠実であることに生き甲斐を見出します。


これはメランコリー性格の、元々やや主体性が動揺しやすい傾向によって、自己に対する確信を持ちきれず、妥当な自己評価として自己を肯定的に捉えることができないための、自己評価を保証してくれる他者への承認欲求の強さから成り立っています。


その関係性は実質的に依存であり、自分の身体、人生の全てを投入し、その一体化した共同体の中で、道徳、価値観も共有するようになっていくわけですが、それが過剰となるところに危険が潜んでいます。


道徳心や良心の形成に役立つ、発達過程における本来的な価値観の「摂取」とは異なり、こうした不安を背景にした他者からの価値観の「摂取」というのは、主体性を容易に喪失させ、委縮していた自我を肥大化させて、さらには自他の未分化な態勢へと人格を退行させるのです。


そして、その依存する対象や帰属する集団が人畜無害であれば、さほど問題はないのでしょうが、ここで自己の凝集性や調和の達成が危機にさらされると、不可逆的な自己の解体感を体験させることにつながり、自己障害の状態を生み出すことになっていきます。


主体性が動揺しやすく常に不安感を抱いている状態ゆえに、対象に帰属し一体化を起こすことで安定を得ようとする過程では、程度の差はあれ、自己がバラバラな分裂した状態に退行していく、「断片化」と言う自己の構造上の変化が進行しています。

339アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:43:14
>>338

自己の断片化というものは、通常は自己評価の喪失、空虚感など、激しい抑うつ不安をもたらします。

けれども、「寄らば大樹の陰」とばかり、類似性を受容してもらえる教団などの組織に参画していることによって、かりそめでも凝集性のある自己の構造を維持し続けることができているわけですが、そこで大きな挫折、失敗、葛藤と直面してしまったとき、それまで目を逸らしてきた断片化の局面にさらされることになります。


自分と一体化していた対象を失うことは、その対象と一体化していた自分をも失うこと。居場所を失うことは、即自己評価の低下を意味し、自己が凝集している状態から、自己の構造が喪失した状態へ退行し断片化していく、その主観的な自己喪失体験は、自己の死の感覚にも似た耐え難いものであるため、自己組織を維持し、断片化した状態に陥るのを避けようとした「行動化」が始まります。


自己喪失による無感覚に陥る体験を退け、自己評価を押し上げるには、環境に無理やり働きかけて、自己対象体験が供給されるよう操作しなければならず、この際の「行動化」は、絶望的な自己刺激の様相を呈します。

そして、浪費、性的倒錯、ギャンブル、薬物やアルコール依存、非行、様々な奇行など、それら狂乱めいた行動は、やがて敵対的で、反社会的な性質を帯びるようになります。


教祖ばかりでなく、職員や信者の姿に表れている症状、特にカルト末期にそれらが先鋭化する理由は、こうした作用によるものです。

340アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:44:25
>>339

また、ここまでの自己崩壊からは免れても、他に自己対象を探し求めて分派活動に傾倒するなど宗教難民化したり、或いは「モラトリアム人間化」する方向もあります。


精神医学の小此木啓吾氏は、「自分自身を常に仮の自分と思い、本当の自分は、どこか別のところか、これから先の未来にあると思う。一時的、暫定的な状態に身をおき、予期される変化への適応にそなえ、何事に対しても当事者になることを避け、どんなかかわりもそれが深まりすぎて傷つくことを恐れる」と、モラトリアム人間を定義しています。


現実から目を背けて、ニューエイジなるものに縋って再評価を夢想するとか、仮に今をご破算にしても、法を継ぐ者、再編纂をする者が現れるとか、場合によってはモラトリアムが時空をも超越して続くことがあります。

それらは、ジレンマに巻き込まれる傷つきや、錯覚的な自己喪失による絶望状態を恐れるあまりの、モラトリアム信者が、対象喪失―本質的には自分自身とー向き合わないで済むように編み出した幻想です。


悲しみを悲しみとして受け止め、苦痛を苦痛として味わい、対象喪失がもたらす、後悔、罪悪感などの様々な思いと、静かに、ありのままに対峙するプロセスを助けるのが、そもそも宗教の存在意義のひとつであったと考えられますが、カルトは逆に、その「悲哀の仕事」を最後まで達成することを妨げ、躁的防衛に逃避する心性を強化するのです。

341アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:45:36
>>340

防御機制 (defense mechanism)は、本来自我を崩壊から守るための成熟したメカニズムですが、同時に、防御機制が過剰に働いたり、自我の防衛に失敗することが、不安障害や精神障害の発症機序にもなっています。

躁的防衛が常態化し、それに過剰に適応してしまって、脳が過労状態となって思考力が低下しているのに、自覚できていないままイタコ霊言を連発し、またそれに追随していくのが、幸福の科学の教祖と信者の実情です。


自我が脆弱で、自己愛傾向が高く,社会不適応に陥っている様子そのものは同じで、自ずと信者は教祖の劣化コピーと言われるのもそのためです。


事実の気づきによって自ら覚醒する人たちの層は、もうあらかた離脱を済ませていて、現存するのは、自らに無批判なままの大川同様に品性が劣化した者たちであるとすれば、もう救われる余地がないようにすら見えます。

実際それは困難で、社会復帰を目指すなら、これより先は専門家の協力なしには、具体的な方策を打てない領域に入らざるをえないでしょう。
それでも、わずかな希望だけは失われることはありません。

信者が教祖の劣化コピーで、教祖と信者が、教団という共同体を通じていかに一体化しているとしても、個体としての自我の発達度合いには根本的な違いがあり、そこにバランスを取り戻す可能性が秘められています。

342アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:47:06
>>341

教祖の劣化コピー、「信者は金太郎飴」とも揶揄される没個性化。
防御機制の過剰な働き具合、まさしく下衆の極みと言うべき破廉恥な教祖の言動や態度にも、なお従順な知性を見るにつけて、信者も何らかの自己障害に陥っていると考えられて無理もありませんが、但し、果たして信者も大川と同じ自己愛性の自己障害ということになるのかどうか。


「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引」には、人格の偏りの傾向によって、3つのカテゴリ、10の類型のパーソナリティ障害の分類がありますが、但し、その偏りは連続的なもので、必ずしもハッキリと線引きできるものではなく、この区分が固定的なものというわけではないとされています。


教祖と信者を比較したとき、対人関係における過敏的で傷つきに弱い傾向は一致しているものの、教祖にある誇大性の誇示や共感性の欠如は、躁的防衛によらない、少なくとも退行する以前の信者の人格には、ほとんど見受けられません。


パーソナリティ障害の症状の連続性から、特徴の一致点と差異を合わせて考えると、臨床現場において、「自己愛性パーソナリティ障害」 (Narcissistic personality disorder)と判別が難しいとされる、同じクラスターB 群(dramatic type)に分類されている「境界性パーソナリティ障害 」(Borderline personality disorder)の可能性が疑われます。

343アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:49:19
>>317->>342 (後段)

一般的に、境界例、ボーダーラインなどと言われる「境界性パーソナリティ障害 」が、「自己愛性パーソナリティ障害」と似た点が多く、明確に区別できないのには、それが自己愛の観点から分析したとき、自己愛が委縮したタイプの自己障害の側面があるからです。


そして、この自己愛の歪みの性質の違いは、両者の決定的な差を示しています。

「自己愛性パーソナリティ障害」の自己愛が、他者性のない(共感性のない)幼児的万能感からのものであるのに対して、「境界性パーソナリティ障害 」の自己愛は、他者性に対し委縮した矮小な自己からの防衛によるものであり、未成熟な段階のまま発達の停止した自己愛と、幼児化によるものとでは、人格の発達の階層が別になってきます。


障害分類の仮定に基づき、それを人格の発達段階の視点から検討すれば、教団内の、教祖を頂点にしたヒエラルキーは、そっくりそのまま逆転し、最下層、最深部に独り鎮座するのが教祖の大川隆法で、少なくとも信者は大川より上位に位置することになります。


見かけからすれば、教祖に心酔し、奴隷の如く従う者であっても、人格構造からすれば、足を引っ張られて発達を妨害されている状態であって、教祖から伸びて足に絡み付いたその触手を断ち切ることができれば、個人差こそあれ、持って生まれた命の浮力の働きによって、水面に向けてバランスを取り戻す道は、あくまでも残っているのです。


願わくは、一人でも多くの方に、そうしたチャンスが訪れることを。



【参考図書】

「ようこそ精神医学へ」(ミネルバ書房)
「臨床精神医学ハンドブック」(創元社)
「自己愛と境界例」(星和書店)
「対象関係論を学ぶ」(岩崎学術出版社)
「自己愛の構造」(講談社選書)
「マインドコントロール」(文藝春秋)
「対象喪失」(中公新書)
「対象喪失の乗りこえ方」(大和書房)

個人的には、小此木啓吾氏著「対象喪失」(中公新書)をお薦めしたいところです。
立場によって読み方はそれぞれですが、読みやすい良書だと思います。


今後は現存信者に関する以上に、カルトへの入信予防という現実的な課題をテーマに注力していきたいと考えています。

http://algorabarchives.blog.fc2.com/

(ブログ開設します)

344アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/03/19(木) 09:59:12

お知らせです。

「カルト・霊感商法被害110番」

オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年。
今も破壊的カルト宗教や霊感・開運商法の被害が発生しています。

お一人で悩まず、お気軽にご相談ください。
弁護士が無料でご相談にのります。

<ご相談典型例>

・カルト宗教の教祖の言いなりになって生活、人生を破壊されそうな方やその親族
・親族や知り合いがカルト宗教に入信してしまい、家庭崩壊の危機にある方
・除霊・開運祈祷・占い・開運商品などで高額な費用を支払わされた方

日時:平成27年3月20日(金)10時〜15時まで
電話:当日のみの専用電話です。

東京:03-5366-5100
名古屋:052-954-0038
大阪:06-6311-6222
福岡:092-735-4777

主催:全国霊感商法対策弁護士連絡会 
電話:03-3358-6179(火・木曜 11:00〜16:00)

※火・木曜以外の問い合わせ先
「東京共同法律事務所」
電話:03-3341-3133
弁護士:山口・木村・中川

以上

幸福の科学関連の場合、脱会して来世幸福園から改葬する際の、納骨壇使用契約金等の返還請求に関しては、現在では実績があります。
その他、現時点で直ちに解決策が示されなくても、実態や被害の類型が蓄積されることで、この先に繋がる可能性があります。
個人で解決できない問題を抱えた方は、ぜひご相談をお勧めします。

345<削除しましたぬ>:<削除しましたぬ>
<削除しましたぬ>


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板