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資料集 Part2
319
:
アルゴラブ
◆gNfxxWHnBY
:2015/01/01(木) 16:17:54
>>318
続
失意のなかでも、私は、亀のごとく、本だけは読みつづけておりました。頭が鈍るという理由から、夕食の量を減らしてまで、法律と政治学の勉強をしました。しかし、一年の留年ののち、司法試験は、短答式試験には合格するも、論文試験には不合格。国家上級公務員試験も不合格。東大に助手として残ろうとしたのですが、成績不良につき、その道もとざされてしまいました。そして、ある商社にやっとひろわれた感じで就職したのです。
十歳のとき、四国の山のなかで、白手袋に息を吹きかけながら、赤い耳をして、寒さのなかで勉強していた自分の姿を思い出すと、私は、涙が流れました。私は、この世的に成功しようとすると、つぎつぎと打ちくだかれていったのです。
そして、自分のいつわりの人生をふりかえっては、こう思っていました。「ああ、自分は世の中に対して、なにひとつ還元していない。自分は、自我我欲のままに生き、まったくの悪人になってしまった。いま、死ねば、きっと自分は、地獄の最深部に堕ちて、何百年ももだえ苦しむにちがいない」
二十四歳の冬、私は、高橋佳子著の「真・創世記 地獄編」「天上編」などを読み、これを通して、さらに高橋信次著「心の発見」と出会ったのです。夜あけ前が、いちばん闇は深く、運命は、ひらける前に、その底につきあたるのです。そして、とうとう、運命の歯車がまわりはじめました。大学卒業前の、卒業試験のころでした。
法律ばかりを勉強していた私が、六法ではなく、正法に触れたのです。一九八一年一月のことでした。高橋信次の著作「心の発見・神理篇」をはじめて読みはじめたのですが、五十七ページぐらいに達したとき、私は、自分の胸が大きく打ちはじめ、体が、こきざみに前後に揺れていることに気づきました。
なにかが起ころうとしていたのです。私は、同じ著者の作品をつぎつぎと読んでいったのですが、口をついて出てくるのは、「私は、この神理を知っている。むかし、これを学んだことがある」ということばでした。
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