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資料集 Part2

257アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2013/09/03(火) 00:18:09

大川隆法の偽りの生年月日については、これまでも何度となく取り上げられてきましたが、近頃でも脱会者さんブログで扱われているのを拝見していて、大川や教団の不実に目覚める人が後を絶たない現在、そうした方々のために既出のものでも様々な箇所で拡散されていくことでの有益性を改めて感じました。

みろたんのブログ http://ameblo.jp/purasenta123/

オーケーのブログ http://ameblo.jp/oklucky/

私がこちらの資料集①、②に投稿した記事なども含め、方々それぞれに色々と工夫して転載下さっていて、たいへん読みやすくされ、コメントに対する共感から意を強くされる脱会者の方も少なくないのではないでしょうか。

私自身も、皆さんの受け取り方や着眼点から、色々と考えさせられるきっかけになっています。

せっかくなので、こちらでもそれを掘り起こし、少し加筆しつつ再掲したいと思います。


こちら「したらば」で大川隆法の偽りの生年月日に触れたのは、資料集①の>153、2010/09/24(金)です。
(以下、該当投稿の一部を修正抜粋)

ウィキペディアを見ていて、ちょっと思い出したことがありますので記録します。
中川隆の誕生日は1956年7月7日となっていますね(さらに確か7時7分7秒とか言っていましたが)。
実はこれ誕生日ではありません。単なる登録日なんです。


彼は川島町の中川家にて産婆さんの手によって取り上げられています。
病院ではないので、正確な時刻など記録されていませんし
それどころか役所への届け出も親の都合の良いタイミングで行くわけですので、日付も好き勝手できたそうです。


現在の常識的には考えにくいことですが、当時の田舎町にしてみたら特別不思議のないことだったようです。
ちなみに父親の善川も同様に産婆さんによって取り上げられたので同じ状況であり、そうした点からも不正という意識ではないのです。


では、いつ生まれたのか?はっきりした日時は不明ということになります(6月下旬だったらしい)。
これは父の善川と、母の君子の会話によります。
善川は少しバツが悪そうな表情でしたが、君子女史は無邪気に語っていました。
当時の地元の会員は苦笑いで聞いていましたね。


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