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宗教・哲学・思想を語るスレッド
41
:
アルゴラブ
◆gNfxxWHnBY
:2011/01/15(土) 23:42:28
玄道さん、こんばんは。
>>38
マイノリティーのコンプレックス・・・雑感をさらっと載せてみましたが、もう少し整理してみます。うまく伝わりますかどうか・・・
彼らを「マイノリティー(社会的少数派、弱者)」と称したのは、HS以前の善川、富山、大川それぞれが抱えていた、うだつの上がらない人生の中で悶々としていた状態の頃の精神を指したものです。
(社会の構造の中で取り残された者たちというニュアンスで、偏見や差別の対象となりうる要素を指したものではありません)
善川や富山は理想家ではありましたが、奉仕の人ではありません。彼らの「主義」は、単なる主張であって、行動規範ではありませんでした。
大川自身は、改竄前の自著で吐露していた通り、能力や美醜などさまざまな面において
いわゆる劣等感のレベルを越えて、激しく感情を揺さぶる神経症的な域にあったことは隠せない事実です。
私は前稿で「コンプレックスを跳ね返えそうとする野心」と表現しましたが、コンプレックスそのものの発露とした方が良いかも知れません。
自分らの劣等コンプレックスを補償するために宗教をこしらえた。と、私自身は見ていると言う意味とお受け取り下さい。
大川の恩着せがましい「愛」の押し売りは、そうしたコンプレックスから発しているから
根底には他者や、社会に対する強く激しい怒り、憎悪を内包しており
誤解を恐れず申し上げれば、福音というより、呪縛と言って良いと思います。
当初は巧妙にそれを隠せても、今はもう抑えきれない状況になっていますね。
余談ですが
ただし、これは大川とか麻原のようなタイプのような人間を指して言っていることで
一般論的に、宗教家や信仰者に対して言うものでは断じてありません。
私個人も、HS脱会後は一時、自分の選択の誤りに落胆し、自己の徹底的な否定に陥りました。
けれども、冷静でない極端な自己卑下も、自己への囚われという面でバランスを欠いた姿勢であり正しくないと思いました。
そもそもの動機は何だったのか?という出発点に立ち返って、HSでの失敗を繰り返すまいという思いで生き直し、今はその途上であります。
この先多くの方々が、脱会され、それぞれの再選択をなさると思いますが
真理の探究に再挑戦されることも、既成の伝統的信仰に規範を求めることも
はたまた宗教、信仰の世界から一切離れ、また無神論、不可知論、唯物論になっても
どの道を選ばれようと、それがその方が一番良心に素直な生き方ができると思った道なら
そのどれもが間違いではないと思っています。
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