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宗教・哲学・思想を語るスレッド
405
:
脱洗脳願望
:2012/06/21(木) 19:16:47
>401と404の補足
舌足らずのようなので付け足します。
影の理論はkkの法の間違いを示す。煩悩を断てるというのは、間違
った思想である。煩悩を断とうとすると自分の影である煩悩を持つ悪
霊が暴れる。即ち、無意識に抑圧された煩悩が表面意識に流入しよ
うと暴れる。煩悩は自我の一部として受け入れるべき。何か言うと「精
進します」を繰り返すが、精進をしすぎるとノイローゼになりやすい。人
間は努力して菩薩・如来になるという単純なものではない。
しかし、kkの法を否定しても人間はある価値観に基づいて努力す
る存在であることは否めない。人間にとって努力とは何か、その位置
づけをしよう。kkを脱会した後、価値観が変わるが、それについての、
参考になると思う。
例えば、外向的であることに価値を感じて、内向的であってはなら
ないとしている人が、外向的になるように努力し、自分の内向的な側
面をないものとして否定するが、自分の内向的な側面が実は無意識
内に抑圧されていて、この努力が限界に達すると無意識から表面意
識に流入しようと暴れ出すことがある。内向的な自分を受け入れるこ
とによって、より成熟した人格が養われる。人間の努力は抑圧と抑圧
の否定の繰り返しである。
そこで、どの程度努力をしたあとで、抑圧を止めるべきかが問題に
なってくるが、抑圧が限界に近づいた段階としか言えない。何か努力
が空回りしているという段階だと思う。
KK内では魔と天使の戦いという妄想があるが、それは、抑圧
された煩悩と教義の戦いである。これを止めて自分の自我のうちに
煩悩を組み込むと、魔は暴れなくなる。KKの洗脳が解けて、ある新
しい価値観が出てくると、それにしたがって努力していくことになる。
この努力もある程度積み重ねると限界に達し否定される。
これは、kkの法が実践されたということを前提した批判であるが、法
が実践されていないとすると、別の批判が必要となる。それは後程。
ヘーゲル哲学の先に霊界科学があると思っていたがそれは疑わし
くなった。伝統的宗教も疑わしい。しかし、ヘーゲルは捨てがたい。
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