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建設的な議論をしませんか?part23

420名無しさん:2014/08/25(月) 11:50:06
ふと思うところあって馬琴作品を同人誌として翻刻し来月初め密かに発行しようかと思っているのだが、その中にも都会へ出て稼ごうとする人物が登場する。時代設定が13世紀だから、「いざ鎌倉!」と出稼ぎに行くのだ。京都と鎌倉と、どちらが良いかって家族で話し合い、結局、京都は王城の地ではあるが鎌倉に如くはないってことになった。小判百五十両を稼いで、故郷へ帰る{鎌倉時代に「両」って砂金じゃないのか}。鎌倉は「揺錢樹{かねのなるき}」のある所と表現されている。
馬琴は江戸後期から末期の作家だが、此の話は「越後伝吉」物語として十八世紀末に成立した譚海に原話が載っている。それまでに、都会が出稼ぎ先として認識されていた。ってぇか、それ以前に江戸へ無宿人が集中することは社会問題化しており、人足寄場とかの施策もとられていた。昔から、都会は人を引き付けた。中央公論でいえば、1920年代にも都市と地方の問題を盛んに書き立てていた記憶がある。日露戦争以後、関東大震災前後から特に注目された問題で、地方の貧困は、兵士の反乱にまで繋がる{とされる}。
要するに、都市と地方の問題は、古くて新しいのだけれども、1920年代までと決定的に違うのは、食糧自給。当時まだ日本は、十分に自給していた。ってぇか、物資の需要というのは、時代に規定される。今更に電気のない時代には戻りがたいが、電気がなくても人間は生きていた。八代将軍は乳製品が好きだったが、普及していなかった。不自由さえ覚悟すれば恐らく、日本の国土で日本人の生存最低限の物資は供給できる。しかし現代生活は、輸入に頼らねばならない。
また昔は「余剰」人口が都会へ行っても、地方は生きていけた。だって「余剰」なんだもん。しかし今や「余剰」というより、再生産に必要な人員すら地方は都会へ吐き出している。地方では職がないし、都会では使い捨てを前提とすれば職はある。
とにかく住居費が高い。住居は「不動産業」の範疇だが、田舎は別として都会の不動産業は考えてみれば、金融業の一種でもある。金融の一側面は、将来までに得られる利得の一部を剥ぎ取るものだけれども、居住することによって其処で労働に従事し報酬を得られるならば、不動産業は労働者から報酬を「生かさぬよう殺さぬよう」抜き取ろうとする。金融業と相似である。こうした「金融」的なものに、地方から出て来た者が絡め取られている以上、幸せになろう筈もない。
それでも此の国が農民だらけで食い物に充ち満ちていれば、都会で食い詰めて故郷へ帰っても、生きてはいける。しかし故郷の親族も多くはストックの無い自転車操業の勤め人であって、食い物は自給できていない。いきおい都会で生活保護を求めることになろう。アメリカのように歴史のない人工的な国家なら、まだしも政治都市と経済都市を分けられるだろうが、日本では難しいので、一極集中になる。また特に近年は、政治・行政が恣意により左右されるから、商売人も政治都市にヘタバリ付いて情報を集め御役人樣の顔色を伺っていないと不安になるのだ。分散できよう筈もない。

とにかく東京一極集中の問題は、各方面からの分析が必要であり、一概には云えないのだけれども、差し当たって、都市と地方、また、都市の中でも労働者と株主を含む経営側の財配分が矛盾をきたしている、財の循環が上手くいっていないことだけは確か。極右の立場からすれば、循環が上手くいかないのは当然、途中で分不相応、《過大》に抜き取っている欲張りがいるからで、其れが金融もしくは「金融」的なものなんだけれども、金融栄えて民滅ぶ、民が滅びた後は何に寄生しようというのやら。




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