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建設的な議論をしましょう。PART20

159名無しさん:2014/07/28(月) 10:43:56
>>158
この夕食会から4日後、天皇はダレスに対して「多くの見識ある日本人」に会うことを勧め、「そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべき」だとする口頭のメッセージを伝えたという。

 ジョン・フォスター・ダレスは弟のアレンと同じようにウォール街の弁護士だが、祖父(ジョン・フォスター)や義理の叔父(ロバート・ランシング)が国務長官を務めるなど外交の世界と深く結びついている。

 第1次世界大戦後、アメリカの外交部門にはふたつの派閥が存在した。ひとつはソ連とも友好的な関係を結ぼうとした「ニューディール派」であり、もうひとつは親ファシスト/反コミュニストの「リガ派」だ。

 「リガ派」と呼ばれた理由は、ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任して人たちの中にメンバーが多かったからで、ジョージ・ケナンやジョセフ・グルーが含まれていた。ジャパン・ロビーの人脈と重なる。その背後にはジョン・フォスター・ダレス、ジェームズ・フォレスタル、ポール・ニッツェたちがいた。

 1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選すると、翌年にはルーズベルトを排除するクーデター計画がウォール街の大物たちによって練られ始めている。これを明るみに出したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将。この辺の話は何度か書いているので、今回は割愛する。

 こうした事情があるため、1945年4月にルーズベルト大統領が執務中、急死したのは親ファシスト派にとって「有り得ないほどの好運」だった。翌月にドイツが降伏、日本の敗北も時間の問題で、戦争が終われば自分たちとナチスとの関係が追求される可能性があった。間もなくして始まった「赤狩り」で反ファシスト派は壊滅、その一方でナチスの幹部たちをアメリカは逃亡させ、保護、そして雇い入れている。

 ドイツが降伏した直後、アメリカと緊密な関係にあるイギリスのウィンストン・チャーチル首相がソ連に対する奇襲攻撃を考え、「アンシンカブル作戦」を作成させた。その後もアメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論み、ここにきて再びロシアを核攻撃したいという欲望が高まっているようだ。武力を前面に出して脅せばロシアも怖じ気づいて屈服するとEUの支配層は望んでいるのだろうが、そうなる可能性は大きくない。そうした状況だからこそ、アメリカは日本に対して集団的自衛権を強く求めている。




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