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建設的な議論をしましょう。PART20
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>>157
朝鮮戦争の場合、日本では戦争を仕掛けたのは朝鮮(北)だと「右」も「左」も断定しているが、アメリカがそう主張しているだけの話だ。遅くとも1950年の春から朝鮮半島ではアメリカの秘密工作が始まり、「戦争勃発」の直前には38度線のあたりでは1日に何度も軍事衝突が起こっていた。開戦の2日前から韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領している。
そして6月25日。その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいたジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだった。
28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。そこでアメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始した。実態は、アメリカ軍が勝手に国連軍を名乗っただけのことだ。
ところが、アメリカ軍は山岳地帯での戦闘に不慣れで、釜山の近くまで追い詰められてしまう。そこで旧日本軍の参謀がアドバイスを始め、仁川上陸作戦などで反撃に転じたと旧日本軍の関係者は語っていた。
すでに本ブログでは何度か書いたことだが、朝鮮戦争と並行してCIAの破壊工作/テロ部門は国民党軍を引き連れて中国への軍事侵攻を試み、失敗している。当然、中国は朝鮮戦争を自分たちの戦争だと認識していたはずだ。その後、CIAと国民党軍は東南アジアへ移動する。
「開戦」の3日前、来日中のジョン・フォスター・ダレスは吉田茂と会談しているが、同じ日にニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの家で開かれた夕食会に出席している。日本側の参加者は大蔵省の渡辺武(元子爵)、宮内省の松平康昌(元侯爵)、国家地方警察企画課長の海原治(自衛隊の創設に関与)、外務省の沢田廉三(岩崎弥太郎の義理の孫)だ。
日本からの出席者には「元貴族」が多く、パケナムはイギリスの名門貴族出身で、日本の宮中とも太いパイプを持っている人物。当時の状況を考えると、昭和天皇の意向が反映されている可能性が高い。
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