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ハロワについて語るスレ
58
:
名無しさん
:2014/10/13(月) 20:09:17
中村修二氏と日亜化学の愛憎 なぜ泥沼抗争?日亜が無価値とした技術、ノーベル賞受賞
青色発光ダイオード(LED)開発への功績が認められ、中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校
教授がノーベル物理学賞を受賞し、日本中が祝福ムードに包まれる中、図らずもクローズアップされている
のが、中村氏の元勤務先である日亜化学工業(徳島県阿南市)である。
中村氏は受賞後の会見で日亜化学に対する好悪相半ばする感情を吐露した。感謝したい人物の筆頭とし
て、中村氏が同社在籍中に青色LED研究への投資を決断した同社創業者、小川信雄氏(故人)の名前を挙
げ、「私が開発したいという提案を5秒で決断し、支援してくれた。私が知る最高のベンチャー投資家だ。小
川社長に500万ドル必要だというと、彼はそれもOKだと言った」と語った。
その一方で、「研究の原動力はアンガー(怒り)だ」と日亜化学に対する憎しみを隠さなかった。発明特許を
会社が独占し、中村氏へは発明の対価として「ボーナス程度」の2万円のしか支払われなかったず。中村氏
は退職後も技術情報を日亜化学のライバル企業に流出させたとして同社から訴訟を起こされ、「さらに怒り
を募らせた」といい、会見で中村氏は次のように語っている。
「日亜化学から企業秘密漏洩で訴えられ頭にきたので、日本で原告になって日亜化学を訴えた。裁判なん
かやったらノーベル賞をもらえないと言われたが、やりたいようにやってきた。こうしてノーベル賞をもらってう
れしい」
これに対して日亜化学は、「日本人がノーベル賞を受賞し、受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員
と企業努力によって実現した青色LEDであることは日亜化学としても誇らしい」とコメントしており、同社の中
村氏に対する複雑な心情が読み取れる。
●中村氏の異能を買った日亜化学創業社長の決断
中村氏は徳島大学大学院工学研究科修士課程を修了後、京セラへ就職が内定していたが、すでに結婚
しており家族の養育の関係から、1979年、地元の日亜化学に入社し一貫して商品開発に携わった。中村氏
は会議には出席せず電話にも出ず、社内では「変人」として知られていたが、赤色LEDの製品化などに成功。
しかし、赤色LEDはすでに他の大手企業が製造していたため、売り上げにあまり貢献できず社内で「無駄飯
食い」と批判された。
「会社の上司たちは、私を見るたびに、まだ辞めていないのか、と聞いてきた。私は怒りに震えた」(中村氏。
受賞後の会見より)
入社から8年過ぎた1987年。怒りが頂点に達した。辞職覚悟で当時社長を務めていた前出の小川氏に直
訴し、当時不可能といわれていた青色LEDの開発許可を求めた。中村氏の「異能・異才」を日亜化学の中で
唯一評価していた小川氏は、「オーケー。やっていい」と即答。「開発費はいくらかかる?」との質問に「500万
ドルが必要だ」と答える中村氏に対し、「ええわ、やれ」と一言で返答したという。当時、為替レートは急激な
円高が進んでおり、500万ドルは8億円に相当する。中小企業の日亜化学には大変な金額だ。これにより500
万ドルの研究費支出と米国留学が認められ、青色LEDが陽の目を見ることになる。
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