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101名無しさん:2012/09/29(土) 13:26:22
 ■センチメンタルな反戦主義者ではなかったトウ小平

 日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、訒小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」というような意味の発言をしたのだから一行はあっけにとられたに違いない。
 絶対に見間違ってならないのは、訒小平はセンチメンタルな反戦主義者ではなかったということである。冷徹な戦力家であり、前線で戦ってきた野戦軍人だったのである。

 中国共産党は1930年代に入っても、国民党の蒋介石軍に対して劣勢で、江西省の山岳地である井崗山(せいこうざん)で包囲されていた。共産党軍は井崗山から脱出すべく、長征の途についた。目的地の陝西省北部の延安までは中国の辺境といわれるチベットとの境界や青海省などの峻険な山岳地帯が選ばれた。この途上、毛沢東が本格的に共産党の主導権を握ったとされる。

 だが、延安にたどりついたときは気息奄々、共産軍は全滅寸前だった。ところが日中戦争が始まり、西安を訪問中の蒋介石は張学良に捕らわれ、国共合作を余儀なくされ、共産党がかろうじて生き延びる道が開かれたのである。張学良はもともと満州を支配していた張作霖の長男である。

 ■江沢民主席はなぜ!

 江沢民中国国家主席は日本に来て以来、何回過去の歴史に言及しただろうか。1989年に胡耀邦総書記が亡くなるまでの中国はこうではなかった。もちろん国際環境はいまとは異なっていたが、過去の日本をこれでもかと批判し続ける江沢民主席の姿勢にはなにか品性を欠くものがある。

 江沢民主席が仙台を第二の訪問地として選んだのは魯迅が学んだ足跡を自分の目で確認したかったからである。魯迅が終生慕った藤野先生の子孫に会いたがっていたとの説もある。その江沢民が過去の歴史にあまりにも固執した背景に、日本訪問に関して中国国内でなにか不都合でもあるのかと勘ぐりたくなる。

 関連ページとして1998年06月06日「日中戦争のおかげで全滅を免れた中国共産党−トウ小平語録」があるが、メールマガジンとしては配信していない。萬晩報はこのコラムのもとになった会談の一問一答を入手した。関心のある方はどうぞ。




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