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訒小平が自衛隊OBに語った日中戦争の新解釈
2004年12月10日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄
古いコラムを再録したい。1998年11月29日(日)「トウ小平が自衛隊OBに語った日中戦争の新解釈」と題して萬晩報に掲載した日中関係の重要な断面を知る内容である。以下そのコラムである。
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1977年10月7日、元陸軍軍人で自衛隊の将官もつとめたOBらが訪中した。OBの立場から日中の軍人の交流の可能性を探るのが目的だったが、予期もしなかった訒小平との会見が実現した。この時の会談内容はいまだ公的に語られたことはない。あまりにも衝撃的であるからだ。
■日本は共産軍を助けたことになっている
人民大会堂で行われた会談の重要メモを入手したので萬晩報で公開する。中国側の出席者は訒小平、廖承志、王暁雲、孫平化、金黎、単達析であった。
両国は100年間は喧嘩したが、いまは共通の問題がある。過去、中国人民は日本の軍国主義に対抗してきたが、毛主席は常にこう言われた「過去のことは水に流そう」と。
しかし、実際は、日本は中国(共産軍)を助けたことになっている。
日本が攻め込んできたので、われわれを包囲していた蒋介石軍が後退した。当時のわれわれ八路軍の兵力は3個師団3万人のみだった。日本が蒋介石を重慶まで押し退けてくれたので、われわれは日本軍の後方で勢力を拡大した。8年後に3万人の兵力は120万人にまで増えたし、さらに数百万人の民兵組織までつくった。
第二次大戦の後、米国は蒋介石軍400万を整備し、蒋介石はこれでわれわれを攻撃したが、われわれは120万の兵力をもって3年間で蒋介石軍を打ち破った。それゆえ、みなさんだけを責めるのは不公平と思う。
かつてジンギスカンが日本を攻撃したが、全軍が壊滅した。だから、日本に迷惑はかけなかった。長期的にみれば、文化交流があり人民の間は友好的だった。第二次大戦後、日本の立場は変わった。それ以降、両国の人民の交流は良い方向にある。
日中の交流は、漢の武帝の時に始まったといわれるがそれから約2000年、短くみても1500年になる。100年は喧嘩状態だったが、1400年は友好的だったのだ。100年の喧嘩は長い間におけるエピソードにすぎないと言えよう。将来も、1500年よりももっと長く前向きの姿勢で友好的にいこう。今後の長い展望でも当然友好であるべきである。
特に言っておきたいことは、両国とも同じ方向から脅威を受けていることだ。われわれは軍人だ。だから緊張緩和に望みをかけていない。第二次大戦後32年になるが、この間も決して安寧ではなかった。
毎日のように緊張緩和にが叫ばれているが、そんな単純なものではなく、この間に核兵器、通常兵器ともものすごく発達した。それ故に私は緊張緩和を信じない。
永久平和があるとは信じない。戦いはいつの時かは実現する。私たちはヨーロッパやアメリカや日本の友人に備えをすべきだと言っている。
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