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上海雑伎団スレ【第六十八幕】

582もぎりの名無しさん:2023/12/24(日) 15:18:26 ID:QWsSBiKI0
>>580さん
レスありがとうございます。
独り言のつもりでしたが反応がいただけるとそれはそれで嬉しいものですね。

ご質問に対しては、あくまでもわたし自身の感覚ではYESでありNOだと感じます。
補足します。

おっしゃる努力が「とても難しいことを継続しなくてはいけない」といった類のニュアンスをもつのなら、それは不要です。
昭和的な(?)努力はむしろエゴ的思考・行動ですし、それを変化させることが認識変更だと思います。
わたしは認識を変更しようと決めたときから、そういった類の努力は一切やめました。

しかし、いったん努力は必要だとも感じます。
それは認識の変更を直感し認識の変更が世界に適用されるまでには、物理法則に従ってある程度ラグが生じると思われるからです。
その間にいわゆる「願望の取り下げ」になるともったいないので、自分の意識の状態には気を配りました。
特別なことは必要ありませんが、エゴに同調している瞬間があれば気付き、楽になるなら自愛等をして、とにかく安心して楽でい続ける「努力」は必要だと思います。

そして、わたし自身が第七章を適用できたと感じた理由ですが、ある一定の段階に到達すると、「わたし」もいないし、したがって「努力」して「わたし」が為したことなど1つもないことに気が付きました。
単に「わたし」は宇宙のある側面の「表れ」に過ぎないと感じました。あらゆる人、出来事もそうです。
「わたし」は何かしようとするのではなく、しいて言えば「表れ」を許可すること、宇宙の完璧をもっとよく見ようと決めるだけです。
だから認識変更に「努力」はいりませんし、自然に起きてくることだとも言えます。

何かを選ぶにしろ、行動するにしろ、「頑張る」というニュアンスは不要と思います。
適宜信念を変更したり行動したりしますが、あくまでも「わたし」は完璧な宇宙の1つの表れであり、「わたし」の言動や思考もそうです。
だからわたしはもう自分で考えているとか行動しているかどうかも怪しく、そのような意味ではとても「無力」なのですが、大丈夫だしこれから起きることが楽しみという心境です。


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