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上海雑伎団スレ【第五十三幕】

663 エッチでリッチな なめなめおじさん:2013/07/07(日) 23:29:32 ID:nXuyZAe.0
海と波のたとえはホントたくさんあるのお、
たしか空海さんもこのたとえを言っておられたのお。

この人のたとえも参考になったのお。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

波 = 個人(という観念・自我)
海 = 私たちの本質(あるがまま・純粋意識)

よく目にする例えです。

でも、本当に上手く表わしていると思います。

もともと「海」そのものである「波」が

「海」を探して、海のすみずみまで探究するという例えです。
探し回るから、海は形を持ち、波になってしまう。

「探す」という動力(思考)をストップさせると
「波」という形を維持できなくなってしまうから、海に戻る。

でも「海」は、どこを見ても海しか見えないし、海しか存在していないから

海という概念を見つけることができない。
それはちょうど「右」という概念がないと「左」という概念が見つけられないように。

プンジャジは言いました。
「ただ、静かにしていなさい。」

マハルシは言いました。
「あなた無しに何が(疑問や想念)現れるというのだろうか。」

マインドに自己同一化していることに気付いて、
「ただの意識そのもの」として

この「存在しているという感覚」に「気付き」を向けてみて下さい。

その状態が、普通の自分です。「あたりまえ」の自分です。

自分という「世界から分離した特別な存在(という観念)」は
実際、自分のマインドの中にしか存在していません。

色んな本を読んで、色々考えて、色々試したら、
もう充分、準備万端です。

はい、そうです。

本当は「自分という存在」はいません。



この身体や世界は
確かに実在しますが、誰のものでもありません。
所有者はどこにも存在していません。

存在しているのは一も二もない、ただの意識だけです。

物、人、自然、それぞれに、どんな名前が付いていようと

存在しているのは全て「ただの意識」だけです。
この「存在しているという感覚」に気付き続ける。

もうそれだけで、本当に充分です。

http://marucou.blog.fc2.com/blog-entry-88.html


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